最新 心理学事典「思考」の解説
しこう
思考
thinking(英),pense´e(仏),Denken(独)
思考は,さまざまな視点からの分類が可能だが,一例として,図1に,ジョンソン・レアードJohnson-Laird,P.N.(1988)による分類を示した。彼によれば,白昼夢daydreamingは目標がない思考として,問題解決とは区別される。目標が存在する思考は問題解決であり,そのうち決定論的であるものを計算computationとよぶ。決定論的であるとは,ある解決手続きを採用したとき,正解にたどり着くために,次のステップが決定されていることを意味する。さらに,計算以外の思考のうち,正確な目標が存在しないものが創造creation,存在するものが推論reasoningである。とくに,創造は,拡散的思考・収束的思考という分類において前者に相当するが,この点については後述する。
【帰納的推論と演繹的推論】 思考研究,とくに問題解決研究においては,人間が限られた認知容量を用いてどのようにして膨大な問題空間を探索するのかという点が最も大きな問題である。この問題に対して,推論研究から多くの示唆が得られている。推論とは,ある前提から帰結を導く精神の活動で,帰納的推論と演繹的推論とに分類できるが,研究上はその課題形式ごとにさらに細分化されている。
推論は情報量を増大させるか否かで二分され,させるものが帰納的推論inductive reasoning,させないものが演繹的推論deductive reasoningである。帰納的推論とは,たとえば,「スイカaは赤い,スイカbは赤い,スイカcは赤い,ゆえにスイカは赤い」というように,いくつかの事例を観察して一般法則を導くものである。一方,演繹的推論では,「人はすべて死ぬ,ソクラテスは人である,ゆえにソクラテスは死ぬ」のように,前提から帰結が論理的必然をもって導かれなければならない。なお,一般に,ある命題から,解釈の多義性を排除できるほどその命題の情報量は多いとされる。たとえば,「雨が降っている」よりは「土砂降りである」の方が,雨量が少ない可能性を排除できるので,情報量が多くなる。すなわち,上記の帰納的推論の例では,前提においてa,b,cのスイカの色が述べられているのみであるが,それ以外のスイカも赤いという帰結を導いている。この,a,b,c以外のスイカへの言及が情報量の増大に相当する。
なお帰納的推論の研究においては,すでに挙げた例のような,いくつかのスイカを観察して「スイカは赤い」という帰結を導かせるような課題は多くは用いられていない。かつての,概念形成がいくつかの事例の共通特徴を見いだすこと(共通特徴説)とみなされてきた時代には,このような形式の課題も用いられていた。しかし,たとえば,鳥概念は,最も鳥らしい鳥のイメージプロトタイプを中心に形成されるとするプロトタイプ理論prototype theoryなど,類似性を基盤とする理論が概念形成研究での主流になると,典型的な帰納的推論の課題はあまり用いられなくなった。
一般に,情報量が追加される帰納的推論は,観察された限られた情報から知識を拡張するために行なわれる。換言すれば,個別事例を観察しながら行なわれる一般法則についての仮説形成でもある。古典的な例として,ウェイソン2-4-6課題がある。この課題では,実験参加者は,最初に「2-4-6」という事例を与えられて,この数字系列がどのような法則で構成されているのかを答えなければならない。その際に,適当な事例を挙げて実験者からその事例が法則に当てはまっているかどうかがフィードバックされる。たとえば「右に行くほど大きくなる3数列」が正解だったとする。ところがこのとき,「2ずつ増加する偶数列」という仮説が立てられると,実験参加者はこの検証のために,「1-3-5」などの事例を挙げて,自らの仮説が正しいことを確かめようとする。こうなると,正解の法則をなかなか発見できず,発見のためには「4-3-2」のように,暫定的な仮説を反証する事例を挙げることが必要である。この研究は,人間には仮説を棄却するよりも確証するような事例を探索する傾向があるという証拠となっている。
帰納的推論では,仮説を形成するのに注目すべき特徴は無限にある。たとえば,先の「2-4-6」の例では,「曲線が含まれる図形-直線のみの図形-曲線が含まれる図形」という法則を仮説としてもつことができる。この仮説に従えば,「○-\-◎」も正しい事例になる。意地悪な課題ならば,この仮説が正解となる場合もありうる。しかし,通常,まずこのような仮説が形成されることはない。それは,数字は「数」を表現することが重要であるという認識があり,この認識に基づいて「形」ではなく「数」に関係する仮説を立てるような制約constraintが働くからである。制約とは,検討すべき仮説や探索すべき情報があらかじめ制限されている状態を示す概念である。
一方,演繹的推論は大別して,条件的推論conditional reasoningと定言的推論categorical reasoningに分類することができる。これらの課題は,とくに1970年代から80年代にかけて,人間の思考の規範とされる論理学がどの程度食い違っているのかを検討するのに用いられてきた。
条件的推論は,前提に条件節を含むもので,たとえば,「もしpならばq,pは真」から「qは真」を導くような肯定式modus ponensが代表例である。一般に,「もしpならばq,qは偽」から「pは偽」を導く否定式modus tollensは,肯定式よりも困難である。条件文を含む条件的推論の場合は,命題論理学が規範となる。命題論理学では,表に示されるように,この条件文は,pが真でqが偽である場合のみ偽とされ,それ以外は真となる。したがって,「もしpならばq,pは偽」から「qは偽」を導いたり,また,「もしpならばq,qは真」から「pは真」を導いたりすれば,誤りとなる(正解は,「何も導くことはできない」である)。
条件的推論を変形して,条件文の真偽を検査する手続きを問うという形式にした課題が,ウェイソン選択課題Wason selection taskで,代表的なものが図2に示される。条件文は,前件が真で後件が偽である事例によってのみ偽とされるので,正解は「B」と「5」だが,多くの人は,5の代わりに2を選択してしまう。この課題は,単純な論理構造であるにもかかわらず,誤答が多いということで,多くの研究に用いられた。ところが,たとえば,条件文を「もしアルコールを飲むならば,20歳以上でなければならない」とし,「ビール」,「ミルク」,「15歳」,「20歳」のカードで飲み物や年齢を調べるという状況では,「ビール」と「15歳」という正答率は大きく上昇する。この内容効果をめぐって,多くの理論が提唱されている。
定言的推論は,前提に条件節を含まないものであり,「すべての」や「ある」などの量化子および否定辞つきの前提が用いられている。とくに,二つの前提からある帰結を導くものは,三段論法syllogismとよばれている。これには,「すべてのAはBである,すべてのBはCである」から「すべてのAはCである」を導くような比較的簡単なものから,「どのAもBではない,すべてのBはCである」から「あるCはAではない」を導く困難なものまである。
【類推と確率的推論】 帰納的推論に近いと考えられているものに,類推analogyと確率的推論probabilistic inferenceがある。類推とは,二つの事物にいくつかの共通点があり,かつ一方の事物がある性質や関係をもつ場合に,もう一方の事物もそれと類似した性質や関係をもつであろうと推論することである。類推は帰納的推論研究として位置づけられることもあるが,厳密には,演繹とも帰納とも異なり,類似点に基づいてある特殊な事例から他の特殊な事例へ推論を及ぼすことである。
類推は,論理学的な意味合いよりも,既知の事象との類似を手がかりに新奇な事象について推理したり,既知の事象から新奇な事象へと知識を拡大したりという実用的な意味合いが強い。ここで,既知の事象をベース,新奇な事象をターゲットという。人間は,新奇なターゲットを理解しようとするとき,ターゲットが自分の既知のどの事象と類似性が高いかを検討し,ベースとなる事象を決定する。次に,類似判断に利用した共通要素以外の特徴や関係について対応づけが行なわれる。たとえば,電圧や電流というターゲットを理解するのに,水圧と水流をベースとして対応づけをすることは典型的な類推の例である。
確率的推論は,演繹的推論が必然的であり,帰納的推論が蓋然的であるという理由で,帰納的推論であると分類されることが多い。たしかに,たとえば,「今後30年の間に交通事故に遭う確率」を推定させるような場合には,帰納的推論が行なわれているかもしれない。しかし,推論研究で用いられた代表的な課題は,むしろ既存の確率から確率論を用いて規範解を導くことができるものであり,その多くは,人間の確率的推論がいかに規範的な確率論と一致していないかを示すものである。
トベルスキーTversky,A.とカーネマンKahneman,D.(1983)が考案したリンダ問題Linda problemとよばれる課題は,学生時代に女性差別撤廃運動や反核運動にかかわってきた聡明なリンダという女性が,卒業後10年経って,「銀行員である」確率と「銀行員でかつフェミニスト運動家である」確率とではどちらが高いか推定させるものである。多くの人びとは後者を選択する。しかし,後者は「P(銀行員)かつQ(フェミニスト運動家)」という連言事象なので,確率論的にはP(銀行員)以下のはずである。にもかかわらず「銀行員でフェミニスト運動家」の確率が高いとするこの誤った判断は,連言誤謬とよばれる。トベルスキーとカーネマンは,代表性ヒューリスティックスrepresentativeness heuristicsによるものとしてこれを説明した。すなわち,人びとは,リンダについての文章から彼女を代表するようなイメージを描き,そのイメージに最もうまく一致する選択肢の確率が高いと判断するわけである。
この代表性ヒューリスティックスは,コインが「表表表表」と出るよりも,「表表表裏」と出る確率の方が高いと判断してしまうギャンブラーの誤謬gambler's fallacyという現象も説明する。一般にコインを振る場合,表裏事象の生起はランダムであるが,「表表表表」よりは「表表表裏」の生起順序の方が,ランダム性を代表しているといえ,それで確率が高いと判断されやすいのである。
次の感染問題もトベルスキーとカーネマンが考案したものである。「1/1000が感染している病気の感染の有無を調べる検査において,感染していないのに陽性となる確率が5%であるとする。もしある人が陽性と判明したとき,その人の病気の兆候などを一切知らないと仮定して,ほんとうにその病気に感染している可能性はどの程度か?」これは,任意のある人が感染している事前確率(この場合,0.1%)が与えられ,誤差を含む「陽性」という情報が得られた結果,どのように事前確率を修正して事後確率を導くべきかという課題である。感染している1/1000だけではなく,感染していない人びとにおいても5%の確率で陽性反応が出るので,陽性反応者全員に対する感染者の比率を求める必要がある。正答は,約2%である。ところが,これまでの研究における正答率はたいへん低く,95%と答えてしまう人もいる。この誤答現象は,感染している事前確率が1/1000という情報が無視されて,5%という検査の誤差だけが考慮されて生じたもので,事前確率無視または基礎比率無視base-rate neglectのバイアスとよばれている。
【推論・思考の理論】 前述のような推論の研究から,思考のみならず人間の認知についての重要な理論が提唱されている。思考心理学の根本的な問題は,「人間は,限られた認知容量で,どのようにして複雑な問題空間を探索するのか」である。この問題に付随して,推論研究では,人間が合理的な思考者なのかどうかという問題が議論されてきた。推論研究では,思考で用いられる知識の抽象度や領域固有性の問題が扱われている。
論理性を最も強調してきた考え方は,リップスRips,L.J.らによる心理論理理論mental logic theoryである。この理論は,人間の推論には抽象的で「自然な」論理命題が用いられていると主張し,主として,条件的推論の課題を用いて検証されてきた。自然な命題とは,たとえば,「PならばP」のような同一律や,「Pの否定の否定はP」のように,わたしたちにとって当然である公理のような命題であり,スキーマの形式で記憶に保持されていると考えられている。一般に,困難な推論課題においては,このようなスキーマを複数使用する必要があり,処理容量を圧迫して誤答が生じやすいとされる。
心理論理理論の問題の一つは,どのような論理スキーマを「自然」とみなすかという基準が曖昧であるという点である。この困難さの差異を説明するものとして,ジョンソン・レアードが提唱したメンタルモデル理論mental model theoryがある。メンタルモデルとは,知覚的にほぼ実体と同形態の具体的な表象として構成されるもので,推論における前提を理解したり,帰結を導いたりするための心の中の作業用モデルであり,意味論的な手続きによって構成される。最も初期の理論は,定言的推論における困難度を説明するものであったが,その後,条件的推論やウェイソン選択課題にも適用されている。メンタルモデル理論も,困難な課題は多くのメンタルモデルの構成が必要とされ,心理論理理論と同様に,認知容量の制約によって困難が生じるとされる。
知識の領域固有性の問題は,認知発達研究領域でも議論されているが,前述のウェイソン選択課題の内容効果を巡ってもなされた。当初は,「もしアルコールを飲むならば,20歳以上でなければならない」という条件文で正答が促進される理由として,「飲酒と年齢」という領域についての知識へのアクセスが容易だからという領域固有性を主張する解釈が行なわれた。しかし,チェンCheng,P.W.とホリオークHolyoak,K.J.(1985)による実用的推理スキーマ理論pragmatic reasoning schema theoryは,心理論理理論ほど抽象度が高いスキーマではなく,中程度の抽象度の,「許可」「義務」「禁止」などの概念レベルのスキーマを想定している。これらのスキーマは,「もし行為をするならば,前提を満たす必要がある」というように,領域特殊的ではないが,論理式で真偽を決定するほど抽象的でもない。
一方,進化心理学では,人間の認知機構は,領域固有なモジュールmoduleの束で構成されていると考えられている。モジュールとは,特定の入力(領域特殊的)に反応し,入力から出力までが自動的でカプセル化されたものであり,進化の過程で形成されたとされる。これらのモジュールの一つに,「利益を得たら対価を支払う」という社会的契約social contractのモジュールがあり,このモジュールは,社会契約を守らない個体に敏感に反応し,互恵的な利他行動を適応的に可能にしたと考えられている。コスミーダスCosmides,L.(1989)は,ウェイソン選択課題における内容効果を,「利益(アルコール)を得たら対価(成人としての義務)を支払う」社会的契約モジュールが喚起された結果と解釈した。
また,確率的推論で紹介した感染問題では,1/1000や5%の代わりに,「1000人のうち1人」や「1000人のうち50人」という頻度形式で情報が与えられると,高い正答率を得られるという頻度効果が観察される。進化心理学では,野生の狩猟採集社会で進化した人間の認知機構には,文明社会の算術や数学において考案された確率表現形式よりも,頻度表現の方が適しているためにこの効果が生じると解釈されている。進化心理学では,人間の精神が多くのモジュールの束で構成されていると考えられている。しかし,当初は推論におけるバイアスを説明するために提唱された二重過程理論dual process theoryでは,精神がモジュールの束で構成されている面を認めながらも,それに加えて,顕在的,領域普遍的で,分析的に正答を理解できるシステムが想定されている。バイアスはモジュール性がある潜在的なプロセスで生じていることは合意されている。しかし,進化心理学が否定している領域普遍的なシステムを想定している点が対立点となっている。
【創造的思考creative thinking】 ギルフォードGuilford,J.P.による拡散的思考divergent thinkingと収束的思考convergent thinkingという分類は,必ずしも前記の「正確な目標が存在するか」という分類に完全に符合するわけではない。しかし,一般に,収束的思考は,決められた目標あるいは解決に向かう思考であるのに対し,拡散的思考とは,与えられた情報から,さまざまな可能性を考慮して新しい解答を生み出していく思考である。創造は,本質的には拡散的なのかもしれないが,人びとに創造的と評価される思考は,思考の途中でなんらかの目標に到達するための収束的思考が含まれる。
創造的思考の過程は,古典的に,ワラスWallas,G.によって,準備期,孵化期,啓示期,検証期に分類されている。準備期においては,解決したい課題について,あらゆる面から検討・探索して,必要な情報収集が行なわれる。しかし,解決が順調に進まず,行き詰まってしまう場合がある。この行き詰まりをインパスimpasse(袋小路)という。孵化期は,いったん問題から離れ,一見別の活動をしているかに見えるのだが,このことがインパスからの脱出を助けてくれる。その結果が啓示期に現われ,あるとき,突然前触れもなく,独創的な解決法が見いだされる。検証期には,そのアイデアが実際に有効なものとして通用するか否かの妥当性を課題に当てはめて,検証がなされ具現化される。
これらの過程のうち,孵化期から啓示期にかけては,拡散的な思考が行なわれていると考えられる。一方,検証期は明確になった目標に向かう収束的な思考であり,創造的ひらめきが現実に成果として現われる場合に必要である。この過程を現代の情報処理のアプローチで記述すると,孵化期に行なわれていることは,まず,インパスに陥った不適切な制約からの解放である。問題を解決しようとする際に,あるいは創造的な活動を行なうときに,人間はどうしても,既成観念や習慣・常識にとらわれてしまう。その結果,それらが解決の方向づけに制約を与える。それが適切なものであれば問題はないが,不適切な場合にはインパスに陥る。この場合,問題に集中すればするほど,不適切な制約は強固になってしまい,インパスから抜け出すことができない。孵化期には,この集中を停止することによって,不適切な制約からの解除が行なわれると考えられる。
【思考と文化差】 思考に文化差が存在するということは早くから指摘され,たとえば,コールCole,M.ら(1971)は,アフリカの非近代的な生活を営んでいる人びとの推論が,形式的ではないことを示した。また,思考が使用している言語の制約を強く受けると主張する,サピア-ウォーフの仮説Sapir-Whorf hypothesisの証拠となっている事実からも明らかになっている。
思考における比較文化的研究が著しく増えたのは21世紀になってからで,ニスベットNisbett,R.E.(2003)が西洋人は分析的認知analytic cognition,東洋人は全体的認知holistic cognitionであると,包括的な記述を行なったことの影響が大きい。ニスベットらの文化心理学的アプローチでは,情報処理アプローチが取り入れられている。しかし,情報処理を重視するといっても,ピアジェのように,思考が頭の中でのみ行なわれているという考え方には異議を唱え,思考は文化の中に共有されているとするビゴツキーVigotsky,L.S.の影響下,認知・思考は文化に深く埋め込まれていて,分離不可能であるとする立場が強調されている。 →意思決定 →概念 →情報処理 →発明・発見 →問題解決
〔山 祐嗣〕
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