改訂新版 世界大百科事典 「藤波家」の意味・わかりやすい解説
藤波家 (ふじなみけ)
大中臣清麻呂の嫡流の公家。代々神宮祭主と神祇大副を世襲した。はじめ岩出(いわで)と称したが,江戸初期の景忠のときより藤波を家号とするようになった。岩出,藤波ともに伊勢国度会(わたらい)郡の地名である。公家としての家格は半家で,江戸時代には家禄として173石を給せられた。維新の際,教忠(なりただ)は条約勅許に反対して中山忠能等の廷臣88卿と列参,上書して勅定案の改刪を迫るなど国事に努めた。その子言忠は維新後,侍従に任じて明治天皇に近侍したほか,新冠(にいかつぷ)牧馬場および下総種畜場の御用掛となり,主馬頭を務め,また御厩制度の調査のため欧米に出張するなど,馬匹の飼養・改良などに大きな功績を残した。そしてその間,1884年の華族令の制定に際して子爵を授けられた。
執筆者:川田 貞夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報