大中臣清麻呂(読み)おおなかとみのきよまろ

改訂新版 世界大百科事典 「大中臣清麻呂」の意味・わかりやすい解説

大中臣清麻呂 (おおなかとみのきよまろ)
生没年:702-788(大宝2-延暦7)

奈良中・後期の貴族。浄万呂とも表記。祭祀により古代の政界に大きな位置を占めた中臣氏の流れをくむ。国足の孫,意美麻呂の子,子老・継麻呂・諸魚らの父にあたる。743年(天平15)従五位下。尾張守,紫微中台大忠,参議,左大弁,神祇伯,大・中納言,右大臣などの要職を歴任し,奈良政治に重きをなした。称徳天皇の信頼をえて769年(神護景雲3)姓大中臣を勅許される。従三位に叙せられるにあたって,〈その累神祇官を任じ清慎自守 清万呂の心名の如し〉と評された。771年(宝亀2)の大嘗祭に神寿詞を奏上し,また天皇を私邸に迎えたことも数回に及んだ。781年(天応1)致仕を請い許された。時に正二位,右大臣。平城右京二条の邸に没する。87歳。伝に清麻呂は数朝に仕えて国の元老であり,年老いても朝務に精勤し怠ることはなかったとある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大中臣清麻呂」の解説

大中臣清麻呂 おおなかとみの-きよまろ

702-788 奈良時代の公卿(くぎょう),神職
大宝(たいほう)2年生まれ。中臣意美麻呂(おみまろ)の7男。神祇大副(じんぎのたいふ),式部大輔(たいふ)などをへて,天平宝字(てんぴょうほうじ)6年参議。神護景雲(じんごけいうん)3年大中臣朝臣(あそん)の氏姓をあたえられ,のち大納言にすすむ。宝亀(ほうき)2年右大臣,3年正二位。延暦(えんりゃく)7年7月28日死去。87歳。名は清万呂,浄万呂ともかく。

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世界大百科事典(旧版)内の大中臣清麻呂の言及

【致仕】より

…具体的なケースをみると,764年(天平宝字8)正月,大宰大弐の吉備真備(きびのまきび)は,数え年70に達して致仕を上表したのであるが,まだ奏上されないうちに,造東大寺司長官に遷任を命ぜられている。また771年(宝亀2)に数え年70に及んだ大納言の大中臣清麻呂(おおなかとみのきよまろ)は,上表して致仕を願ったがゆるされず,774年12月,右大臣に昇進していた清麻呂は重ねて致仕を上表したが,またゆるされていない。ついで桓武天皇即位後の781年(天応1)6月,3度目の上表によって80歳で致仕を承認された。…

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