藤田俊一(読み)フジタ シュンイチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「藤田俊一」の解説

藤田 俊一
フジタ シュンイチ


職業
邦楽評論家 尺八演奏家

肩書
日本音楽社主幹

別名
号=藤田 鈴朗

生年月日
明治16年 2月2日

出生地
広島県 広島市

学歴
専修学校理財科〔明治37年〕卒

経歴
大正2年初代川瀬順輔の竹友社結成に参加。雑誌「竹友」編集に携わり、また鈴朗の名で尺八を教えた。10年竹友社、尺八教授を辞め雑誌「三曲」を創刊、邦楽評論に活躍。のち「日本音楽」と改題、日本音楽社主幹。昭和15年日本三曲協会を創立、世話役を務めた。また東京芸能人国民健康保険組合副理事長も。著書に「尺八通解」「松韻芸話」「今井慶松芸談」「吉田晴風の一生」「富崎春昇芸談」「現代三曲名鑑」などがある。

受賞
紫綬褒章〔昭和37年〕,勲四等瑞宝章〔昭和40年〕

没年月日
昭和49年 11月3日 (1974年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「藤田俊一」の解説

藤田 俊一
フジタ シュンイチ

大正・昭和期の邦楽評論家,尺八演奏家 日本音楽社主幹。



生年
明治16(1883)年2月2日

没年
昭和49(1974)年11月3日

出生地
広島市

別名
号=藤田 鈴朗

学歴〔年〕
専修学校理財科〔明治37年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和37年〕,勲四等瑞宝章〔昭和40年〕

経歴
大正2年初代川瀬順輔の竹友社結成に参加。雑誌「竹友」編集に携わり、また鈴朗の名で尺八を教えた。10年竹友社、尺八教授を辞め雑誌「三曲」を創刊、邦楽評論に活躍。のち「日本音楽」と改題、日本音楽社主幹。昭和15年日本三曲協会を創立、世話役を務めた。また東京芸能人国民健康保険組合副理事長も。著書に「尺八通解」「松韻芸話」「今井慶松芸談」「吉田晴風の一生」「富崎春昇芸談」「現代三曲名鑑」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田俊一」の解説

藤田俊一 ふじた-しゅんいち

1883-1974 大正-昭和時代の邦楽評論家。
明治16年2月2日生まれ。初代川瀬順輔(じゅんすけ)に琴古流(きんこりゅう)尺八をまなぶ。鈴朗と号して尺八をおしえた。大正10年雑誌「三曲」(のち「日本音楽」と改題)を創刊して以後邦楽評論に専念。昭和49年11月3日死去。91歳。広島県出身。専修学校(現専修大)卒。著作に「尺八通解」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android