尺八の流派名。初世黒沢琴古(1710―71)を祖とする。琴古の名は4世で途絶したため、以後宗家はなく、多くの分派家元に分かれている。都山(とざん)流と並ぶ二大流派の一つ。黒沢家は、普化宗(ふけしゅう)両本山(一月寺(いちがつじ)と鈴法寺(れいほうじ))の吹合(ふきあわせ)(尺八指南役)を務めた家柄で、江戸を中心に親子三代にわたり繁栄したが、4世(3世の弟)は技量優れず、3世の高弟久松風陽(ふうよう)が実質的家元として芸を継承した。初世の門弟宮地一閑(いっかん)から、池田一枝―山田如童―豊田古童―荒木古童と伝わる流れを一閑流とよんだが、荒木は久松にも師事し、事実上再統一され、現在に至る。なお琴古流の名称は18世紀後半に現れるが、一般に使われるようになったのは明治初めの普化宗廃止(1871)以後である。初世琴古以来、伝来の本曲(ほんきょく)36曲を軸に、廃宗後確立された三曲尺八(外曲(がいきょく))に多数のレパートリーをもつ。上原六四郎が考案し初世川瀬順輔(じゅんすけ)が普及させた点符式記譜法や、曲線的な装飾を多用した本曲奏法などが特徴である。
[月溪恒子]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…琴古流尺八家の芸名。初世は豊田古童。…
…尺八楽琴古流の流祖および宗家代々(4世まで存続)の芸名。(1)初世(1710‐71∥宝永7‐明和8) 本名幸八。…
…そのころ江戸の虚無僧の中の尺八指南役だった初世黒沢琴古(きんこ)は,各地の虚無僧寺所伝の尺八曲を収集整理し,編曲して30曲余りの本曲を制定した。これを基に江戸を中心に琴古流と称する芸系(今日まで存続)が生じ,以後,関西その他の地方にもいくつかの流派が生じた。その中では,幕末の大坂で外曲(三曲合奏)を主として活躍した近藤宗悦(そうえつ)の宗悦流(現存しない),京都明暗(みようあん)寺の明暗真法(みようあんじんぽう)流,浜松普大寺系統の西園(せいえん)流,弘前の津軽藩士のたしなみとなった錦風(きんぷう)流(根笹(ねざさ)派とも)などがよく知られる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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