日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤田宗兵衛」の意味・わかりやすい解説 藤田宗兵衛ふじたそうべえ(1780―1843) 江戸時代、天保(てんぽう)期の義民。近江(おうみ)国甲賀(こうか)郡宇田(うった)村(滋賀県甲賀市水口(みなくち)町)の庄屋(しょうや)。1842年(天保13)幕府勘定方市野茂三郎が検地増徴をしようとしたのを、野洲(やす)、甲賀、栗田(くりた)3郡の百姓およそ1万人が蜂起(ほうき)して阻止した(三上騒動、甲賀一揆)。宗兵衛はその指導者の1人として逮捕され、江戸へ送られる途中病死した。野洲市三上山中腹に、このときの犠牲者の徳をしのぶ大きな記念碑が建っている。[横山十四男][参照項目] | 三上山 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田宗兵衛」の解説 藤田宗兵衛 ふじた-そうべえ 1780-1843 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。安永9年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)甲賀郡宇田(うった)村の庄屋。天保(てんぽう)13年幕府勘定方の検地に反対して1万2000人の農民が蜂起(ほうき)した三上騒動の指導者のひとり。強訴は成功したが,土川平兵衛らとともに捕らえられ,天保14年3月江戸への護送中に病死。64歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例