藤野孫一(読み)ふじの・まごいち

朝日日本歴史人物事典 「藤野孫一」の解説

藤野孫一

没年天明4(1784)
生年元禄14(1701)
江戸中期,隠岐島布施村造林始祖。隠岐国(島根県)周吉郡布施村木下庄右衛門の子として生まれ,のち藤野与平次の養子となる。青年期に隣村の医師原玄琢から造林業の有利なこと,杉樹試植の実験談を聞かされ,造林事業を企画,村人を説得したが,村人は耳をかさず,わずかに親戚の船田兵右衛門,長田新六,佐原長兵衛の3名が協力,孫一が伊勢参宮の帰途持ち帰った杉実をもとに植林に着手,30年後の安永(1772~81)のころ成育した杉を伐採,巨額の利益を得た。そのためいったんは嘲笑した村人もこれに倣って造林に励み,以後事業利益は村最大の収入源となった。<参考文献>島根県隠岐支庁編『隠岐島誌

(松尾寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤野孫一」の解説

藤野孫一 ふじの-まごいち

1701-1784 江戸時代中期の植林家。
元禄(げんろく)14年生まれ。隠岐(おき)(島根県)周吉(すき)郡布施村の人。医師原玄琢(げんたく)から植林をまなび,船田兵右衛門ら親族の協力をえてスギの種子を購入,実生苗をそだてて植林をおこなった。事業は成功し,村民も造林にはげむようになった。天明4年死去。84歳。本姓は木下。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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