播磨赤穂城主。5万3500石。広島浅野家の分家。1645年祖父長直が常陸笠間から転じ,75年(延宝3)に父長友の跡を継いだ。1701年3月14日,勅使の御馳走役であった長矩は,勅使らが到着する直前,江戸城本丸の松之廊下で高家肝煎の吉良義央(きらよしなか)に斬りつけ負傷させたために捕らえられ,即日,切腹・改易の処分をうけた。その遺臣たちが翌年12月義央を殺害した事件は有名である。
執筆者:田原 嗣郎 赤穂浪士の討入りはその後戯曲等に仕組まれ,浅野長矩は《仮名手本忠臣蔵》では伯州の城主,塩冶(谷)(えんや)判官高貞(定)として登場する。芝居ではおっとりした役柄で,そこが高師直(吉良義央)にいじめられるときや,切腹の場面などで観客の涙をさそうことになる。歌舞伎をはじめとする舞台では脚本も演出も,いい殿様としての塩冶判官像を培ってきたのである。
執筆者:中山 幹雄
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播磨(はりま)赤穂(あこう)城主、5万3500石。広島浅野家の分家。妻は浅野長治(ながはる)の長女(瑤泉院(ようぜいいん))。1645年(正保2)浅野長直(ながなお)が常陸(ひたち)(茨城県)笠間(かさま)から赤穂に転封となり加里屋(かりや)城を築いたが、長矩はその孫で1675年(延宝3)に父長友(ながとも)の跡を継いだ。1680年、従(じゅ)五位下内匠頭(たくみのかみ)。1701年(元禄14)幕府から勅使の御馳走(ごちそう)役を命ぜられたが、その指南(しなん)役である高家肝煎(こうけきもいり)の吉良義央(きらよしなか)との間柄が悪化した様子で、3月14日幕府の年賀の答礼として京都から派遣された勅使・院使が到着する直前に、江戸城本丸の松之廊下で「私の遺恨」から吉良に斬(き)りつけたが、軽傷を与えただけで捕らえられ、ただちに切腹させられ領地は没収された。墓は江戸・高輪(たかなわ)の泉岳寺(せんがくじ)。その遺臣らが失われた主家の名誉を回復せんとして、翌1702年12月吉良を殺害した事件は有名である。
[田原嗣郎]
(後藤陽一)
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1667~1701.3.14
江戸前期の大名。播磨国赤穂藩主。内匠頭(たくみのかみ)。1675年(延宝3)父長友の遺領5万3000石余を継ぐ。93年(元禄6)水谷勝美(みずのやかつよし)改易の際,備中国松山城を守衛。1701年,年頭の勅使の饗応役を命じられたが,指導役の吉良義央(よしなか)と対立し,3月14日江戸城中松之廊下で義央に斬りつけ,即日切腹に処される。浅野家は改易,これが赤穂事件に発展した。
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…この日は幕府の年賀に対する答礼のため京都から遣わされた勅使・院使に対して,将軍徳川綱吉の挨拶が白書院で行われるはずであったが,事件は勅使らの到着直前に起こった。浅野長矩は勅使の御馳走役であったが職務を放擲(ほうてき)して事を起こしたのである。これらの条件が浅野の罪を重くし,彼は即日切腹の処分をうけ,浅野家は取りつぶされた。…
…喧嘩両成敗法の本来のかたちは,喧嘩をした者は双方とも,〈理非〉つまり喧嘩の原因を問うことなく,同等の処罰をうける(相手の被害と同じ害を罰としてうける)というもので,この場合の喧嘩とは物理的闘争のみを指す。したがって喧嘩を仕掛けられても応戦しない者は処罰されない。たとえばAがBを怒らす原因(侮辱,横領,債務不履行等々)を作り,Bが実力行使に及んだ場合(B:理,A:非)でも,Aが応戦しないかぎり,Bのみが処罰される。…
…かつて映画界には〈ヒット作の企画に困れば忠臣蔵〉という言い方があったほど,忠臣蔵映画は,つくれば必ず大ヒットするドル箱とされてきた。これは明らかに〈忠臣蔵〉が国民的人気をもつゆえであるが,登場人物が多彩で,しかも人物それぞれの見せ場のあることから,各映画会社のスターの〈顔見世番組〉,いわゆるオールスター作品としてふさわしいとされたことも見逃せない。そして,オールスター大作としての忠臣蔵映画を製作できるかどうかは,映画会社の盛衰を示すバロメーターともみなされ,各社は正月と盆の稼ぎ時のほかに,さまざまな記念作品として忠臣蔵映画をつくった。…
…客人に飲食や宿舎を与えてもてなす風習はほとんどあらゆる社会にみられるが,国家の権威が人心にいまだ十分浸透していない段階では,こうしたもてなしは,近代社会における場合とは比較にならぬほど大きな意義をもっている。 まず,そのような社会では,訪れる客のもてなしは個人の自由裁量にゆだねられるものではなく,一般に家や親族集団を単位として行われる社会的義務とみなされている。ホメロスの《イーリアス》の中に,敵対する2人の戦士が,互いの先祖がもてなしによって結ばれた関係にあることを知ると,ただちに戦いをやめるという有名なエピソードがあるが(詳しくは後述),それなどはホメロスの時代のギリシアにおいて,もてなしの紐帯(ちゆうたい)が〈相続〉されるものであったことを物語るものであろう。…
※「浅野長矩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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