蛟神社(読み)みつちじんじや

日本歴史地名大系 「蛟神社」の解説

蛟神社
みつちじんじや

[現在地名]利根町立木

立木(たつぎ)貝塚上に門(かど)の宮(角の宮)、東方約一・五キロに奥(おく)の宮がある。旧郷社。門の宮に土神の波邇夜須毘売命、奥の宮に水神の罔象女命(弥都波能売命)を祀る。文間(もんま)明神とも称し、「延喜式」神名帳に「相馬郡一座 蛟神社」とみえる式内小社。大治五年(一一三〇)の下総権介平経繁私領寄進状案(櫟木文書)に相馬御厨の四至として「限東蚊虻境」とあるのは当社を示すと考えられる。社伝によれば慶長三年(一五九八)に徳川家康の命によって社殿が再建され、同九年に社領五〇石を与えられており、「寛文朱印留」に「大明神社領、下総国相馬郡布川郷文間村之内五拾石之事、任慶長九年三月十五日、元和三年十一月十三日、寛永十三年十一月九日先判之旨、永不可有相違者也」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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