蠣久天満宮(読み)かきひさてんまんぐう

日本歴史地名大系 「蠣久天満宮」の解説

蠣久天満宮
かきひさてんまんぐう

[現在地名]佐賀市鍋島町大字蛎久字蛎久

多布施たふせ川の西、蠣久村の北の森に鎮座する。蠣久庄が永保二年(一〇八二)太宰府天満宮安楽あんらく(現福岡県筑紫郡太宰府町)に寄進される前後から、蠣久の地と天満宮との結び付きが強かったと考えられるが、社伝によれば、天喜二年(一〇五四)勅願によってこの地に分祀されたという。中願寺・岩松の両家が社職を執行。のちには右近氏が社家となり、寺も建立して妙雲山吉祥きちじよう寺の座主職も兼ねたといわれる。一時は「末寺十七ケ寺神領二百余町」に及んだが、大友・竜造寺両氏の兵乱で焼失したと伝えられる。その後再建され、鍋島家の尊崇を受けた。

寛文元年(一六六一)六月の一千句法楽連歌には佐賀藩主鍋島光茂や宮司らの連歌が奉納され、のち綱茂も奉納連歌を続けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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