日本歴史地名大系 「久村」の解説 久村くむら 島根県:簸川郡多伎町久村[現在地名]多伎町久村西浜(にしはま)海岸に位置し、北は大池(おいけ)村(現湖陵町)、南は多岐(たき)村。天平一一年(七三九)の出雲国大税賑給歴名帳(正倉院文書)に「国村里」とみえるのが当地と思われ、部民の姓名・年齢が記される。永禄五年(一五六二)二月一九日の尼子義久安堵状(春日家文書)では久村は神西氏に与えられている。寛永五年(一六二八)と表紙に記された久村清松御検地帳写によれば、田方の反別や高は不明だが、同二一年の屋敷数七三(うち役目屋敷三九)とある。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高八八六石余、寛文四年(一六六四)の本田高八二四石余・新田高一三石余。 久村こむら 愛知県:知多郡南知多町久村[現在地名]南知多町山海(やまみ)知多半島が先端で大きく東に屈曲する所にあって伊勢湾に面し、本郷松原(まつばら)は中(なか)川(山海川)の東、支邑に小野(この)・西村(にしむら)・神戸(ごうど)の三集落がある。「寛文覚書」によれば、概高八二一石余、田地三二町三反一畝余、畑地七〇町六反五畝余、戸数一五五、人口六九九。塩浜二町八反四畝余は後に神戸新田となった。将軍上洛・朝鮮使節通行の時人馬を出すとある。「徇行記」によれば「小百姓多ク」農商兼業の者があり、一五〇石積以下のいさば船一〇艘は熊野(くまの)浦へ運漕し薪を積んで来る。 久村くむら 神奈川県:横須賀市久村[現在地名]横須賀市久村・久里浜(くりはま)二丁目久里浜村・内川新田(うちかわしんでん)村の西側の谷に開ける。「風土記稿」に、久村は「元禄の頃久里浜より分村す」とあり、元禄郷帳・天保郷帳ともに「久里浜村枝郷」とする。天保初期の家数二〇(風土記稿)。久村の北奥にある日蓮宗等覚(とうがく)寺は本尊三宝祖師、開山日大は元和四年(一六一八)没。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報