蠣崎城跡(読み)かきざきじようあと

日本歴史地名大系 「蠣崎城跡」の解説

蠣崎城跡
かきざきじようあと

[現在地名]川内町蠣崎

おとこ川の河口右岸、殿との崎の北に位置し、北は小高い丘に面する。現蠣崎小・中学校の敷地を含む一帯である。

「東北太平記」の伝えるところでは建武元年(一三三四)南部師行により目代として蠣崎に配された武田修理太夫の居館であった。武田氏は以後五代に及び、五代蔵人信純の代に蠣崎氏を称したという。宝徳三年(一四五一)蔵人により拡張工事が行われたというが、「城南に大に関門を構ひ、砦を左右にかき上、下馬下乗の制札を立、車止馬返の宿と号。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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