蠣瀬出町(読み)かきぜでまち

日本歴史地名大系 「蠣瀬出町」の解説

蠣瀬出町
かきぜでまち

[現在地名]中津市蛎瀬かきぜ

豊後ぶんご町の東端蠣瀬口勢溜かきぜぐちせいだまると蠣瀬口御門があり、門外に町支配の蠣瀬があった。享保四年(一七一九)にはこめ町支配蠣瀬鍛冶屋かきぜかじや町一五軒(うち八軒は畑となる)七竈、同町支配蠣瀬出町八軒・一二竈、しお町支配蠣瀬新町九軒・一二竈があった。天明五年(一七八五)には鍛冶屋町一五軒・出町八軒・新町一〇軒。文化七年(一八一〇)は鍛冶屋町五軒・出町一〇軒・新町八軒とある(惣町大帳)。「惣町大帳」安永四年(一七七五)一月条に、「一、旧冬蠣瀬鍛冶屋町之儀、御尋有候、此度吟味仕候所ニ、米町内と御武家様御屋敷と引替ニ罷成候、其節、御門外江罷出候者者、職人日雇ニ而御座候、別而見世商売致候者ハ壱人も無御座候由申伝候」とあり、享保二年一〇月の米町分蠣瀬口出町屋鋪之帳(中津市立図書館蔵)に「一、米町分蠣瀬口出町之儀、古来より御武家屋鋪之由承伝申候、弐拾ケ年已前迄者、御武家方住居被成候、其後十ケ年余、居宅崩れ、あき地ニ罷成候付、畠ニ被遊、御年貢上納仕、御奉公人衆、百姓等作り仕候由、承及申候得共、其砌之委敷儀者、私共存知不申候、角木町庄屋支配仕候由、承及申候。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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