日本歴史地名大系 「中津城下」の解説
中津城下
なかつじようか
中津城はもと
中津の地名について「下毛郡誌」は「応永戦記にも中津江太郎と云ふ者見え、大家氏系図には、孝範、中津江太郎判官と云へる由見ゆ。然れば、中津の称呼はたとひ中津宮の神名に因らずとするも尚南北朝の比より唱へ来りしや明かなり、奥羽観蹟聞老誌には、豊前の人にて、中津川義氏と云ふあつて、花山院の衛士なりしとぞ、是も聞き捨て難き説なり」と従来の諸説をまとめている。年未詳八月二一日の永弘国忠書状(永弘文書)に中津川とみえ、永正年間(一五〇四―二一)頃
近世に入って中津と称せられるが、史料上では慶長一八年(一六一三)にみえる(「宇佐宮脇殿三社竪柱上棟御神事入目目録」小山田文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報