20世紀日本人名事典 「血脇守之助」の解説 血脇 守之助チワキ モリノスケ 明治〜昭和期の歯科医学者 東京歯科大学名誉学長。 生年明治3年2月1日(1870年) 没年昭和22(1947)年2月24日 出生地千葉県我孫子 学歴〔年〕慶応義塾別科〔明治23年〕卒 経歴新聞記者を経て、新潟県三条町で3年間英語の教師をする。その頃歯科医を希望し、明治26年高山歯科医学院に入学し、28年歯科医術開業試験に合格。その後中国に渡って歯科医学を施し、33年高山歯科医学院を東京歯科医学院と改称、40年には東京歯科医学専門学校として校長に就任。昭和18年名誉校長。21年東京歯科大学に昇格して名誉学長に就任した。日本歯科医師会の初代会長なども歴任。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「血脇守之助」の解説 血脇守之助 ちわき-もりのすけ 1870-1947 明治-昭和時代の歯科医学者。明治3年2月1日生まれ。新聞記者,英語教師をつとめたのち,高山歯科医学院にまなぶ。明治33年同学院を継承し,東京歯科医学院と改称。40年東京歯科医専(現東京歯大)とし,校長となる。歯科医師法の制定につくし,日本歯科医師会初代会長。高山歯科医学院の学生だった野口英世の後援者として知られる。昭和22年2月24日死去。78歳。千葉県出身。慶応義塾卒。旧姓は加藤。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by