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野口英世 のぐち ひでよ

美術人名辞典の解説

野口英世

医学者。細菌学者。福島県生。幼名は清作。医術開業試験に合格したのち、伝染病研究所・横浜長浜検疫所を経て渡米、ペンシルバニア大、ロックフェラー医学研究所に入る。梅毒スピロヘータの純粋培養に成功、進行性麻酔、脊髄癆が梅毒性疾患に起因することを実証した。帝国学士院恩賜賞受賞。黄熱病の調査研究中に感染、昭和3年(1928)歿、53才。

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百科事典マイペディアの解説

野口英世【のぐちひでよ】

細菌学者。福島県の生れ。苦学して1897年医術開業試験に合格,翌年伝染病研究所で研究生活に入る。1900年渡米,ヘビ毒を研究し,1904年ロックフェラー研究所に入所,1911年―1913年梅毒病原体の研究で功績をあげた。
→関連項目猪苗代[町]メリダ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野口英世 のぐち-ひでよ

1876-1928 明治-昭和時代前期の細菌学者。
明治9年11月9日生まれ。順天堂医院,伝染病研究所の助手をへて明治33年渡米。ロックフェラー医学研究所につとめ,44年梅毒病原体スピロヘータの純粋培養に成功した。大正4年学士院恩賜賞。アフリカで黄熱病研究中に感染し,アクラ(現ガーナの首都)で昭和3年5月21日死去。53歳。福島県出身。幼名は清作。
【格言など】人は四十になるまでに土台を作らねばならぬ(奥村鶴吉編「野口英世」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

野口英世

没年:昭和3.5.21(1928)
生年:明治9.11.9(1876)
明治大正時代の細菌学者。福島県の貧農の子に生まれ,幼時左手に火傷を負ったが,苦難にめげず,医師免許を取る。北里柴三郎の伝染病研究所の助手補,横浜の海港検疫官補を勤めたのち,明治33(1900)年渡米し,ペンシルベニア大学のフレクスナーの助手になり,37年ニューヨークのロックフェラー医学研究所の発足とともに,その助手から正員となる。44年梅毒病原体スピロヘータの純粋培養に成功し,ノーベル賞候補にも擬せられた。大正7(1918)年南米エクアドルで黄熱病病原体を発見したと発表,それを証明するために昭和3(1928)年アフリカのアクラに出張し,現地で黄熱病にかかって死去。当時科学のため,人類のために殉職したとして世界的に報じられた。のちに黄熱病病原体は細菌ではなくてウイルスであることが確かめられ,他の多くの野口の発見も誤りであったことが知られている。

(中山茂)

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世界大百科事典 第2版の解説

のぐちひでよ【野口英世】

1876‐1928(明治9‐昭和3)
医学者,細菌学者。幼名清作。福島県翁島村(現,猪苗代町)に生まれる。1896年秋,東京に出て高山歯科医学院学僕となり,翌年済生学舎に入る。同年10月医術開業試験に及第,ただちに高山歯科医学院講師となり,順天堂医院助手,海港検疫医を経て,98年伝染病研究所助手に採用され,北里柴三郎のもとで細菌学の研究に入る。1900年12月アメリカに渡り,翌年フレクスナーSimon Flexner(1863‐1946)の厚意により,ペンシルベニア大学で病理学助手となる。

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大辞林 第三版の解説

のぐちひでよ【野口英世】

1876~1928) 細菌学者。福島県生まれ。幼名、清作。伝染病研究所で細菌学を研究。渡米しロックフェラー医学研究所で蛇毒を研究、また、梅毒スピロヘータの研究で業績を上げた。アフリカで黄熱病を研究中感染し死亡。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

野口英世
のぐちひでよ

[生]1876.11.9. 福島
[没]1928.5.21. アクラ
細菌学者。高等小学校卒業後,渡辺医院の書生となって勉強し,1896年東京に出て高山歯科医学院 (現,東京歯科大学) の学僕となり,さらに済生学舎で医学を学ぶ。翌年医師開業試験に合格,97年から 98年にかけて順天堂医院で医学雑誌の編集にあたり,同年,北里伝染病研究所の助手となり,細菌学の研究に入った。 1900年アメリカに渡って S.フレクスナーの世話になり,蛇毒の研究に従事する。 03年カーネギー研究所の助手となり,ガラガラヘビの抗毒血清を発明。その後ロックフェラー研究所に勤め,11年梅毒トレポネーマの純粋培養に成功したと発表した。 13年麻痺性痴呆患者の脳中に梅毒トレポネーマを証明,15年帝国学士院から恩賜賞を授与された。 18年中部アメリカや南アメリカで熱病を研究,23年帝国学士院会員に推された。 28年アフリカで黄熱の研究中,同病に感染し死亡した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

野口英世
のぐちひでよ
(1876―1928)

細菌学者。福島県翁島(おきなじま)村(現、猪苗代(いなわしろ)町)の貧農佐代助(1851―1923)とシカ(1853―1918)の長男に生まれ、幼名は清作(せいさく)。尋常小学校のとき、訓導小林栄(1860―1940)は野口の英才を認め高等小学校進学の学費を与えた。卒業後、会津若松の渡部鼎(わたなべかなえ)(1858―1932)の医院の書生となり、4年間医学と外国語を習得。1896年(明治29)上京、医術開業前期試験に合格、ただちに歯科医血脇守之助(ちわきもりのすけ)(1870―1947)の紹介で高山歯科学院の用務員となり、1897年済生学舎に入り、5か月後、医術開業後期試験に合格した。翌1898年大日本私立衛生会伝染病研究所(所長は北里柴三郎(きたさとしばさぶろう))助手に採用され、細菌学の道に入った。1899年、アメリカの細菌学者フレクスナーが来日、その通訳を務めたことを機に渡米を決意した。その後、横浜港検疫官補、続いて中国の牛荘(営口)でのペスト防疫に従事した。1900年(明治33)12月、血脇の援助を得て渡米し、ペンシルベニア大学にフレクスナーを訪ね、彼の厚意で助手となり、またヘビ毒研究の大家ミッチェルを紹介された。野口はヘビ毒の研究をはじめ、1902年フレクスナーと連名で第1号の論文を発表した。1903年デンマーク、コペンハーゲンの国立血清研究所でアレニウスとマドセンThorvald Madsen(1870―1957)に血清学を学び、翌1904年アメリカに戻り、フレクスナーが初代所長を務める新設のロックフェラー研究所に入所した。1911年梅毒病原スピロヘータの純培養に成功、世界的にその名を知られ、京都帝国大学から医学博士を得た。ついで1913年(大正2)梅毒スピロヘータが脳と脊髄(せきずい)の梅毒組織内に存在することを確かめた。1914年ロックフェラー研究所正所員に昇進、同年東京帝国大学から理学博士を得た。1915年帝国学士院恩賜賞を授与され、15年ぶりに帰国、歓迎を受けた。この際、母親に孝養を尽くした美談は多いが、父とはともに語らなかった。
 1918年黄熱病(おうねつびょう)原体解明のためエクアドルに赴き、病原スピロヘータを発見、しかしその後黄熱はワイル病であり、ワイル病スピロヘータと同一と判定された。1923年帝国学士院会員となる。1926年ペルーの悪性風土病オロヤ熱の病原体の純培養に成功、またペルー疣(いぼ)の病原体がオロヤ熱病原体と同一種であることを証明、媒介昆虫も確認した。1927年(昭和2)黄熱研究のためにアフリカに赴き、翌1928年5月21日ガーナのアクラで黄熱により死去した。福島県猪苗代町に野口英世記念館、アクラに野口英世博士記念医学研究所がある。[藤野恒三郎]

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世界大百科事典内の野口英世の言及

【グアヤキル】より

…気候は高温多湿だが沖合を流れるフンボルト海流の影響をうけ,12月~4月の雨季以外はしのぎやすい。野口英世が黄熱病の研究のために立ち寄ったが,現在でもチフス,コレラなどの伝染病が発生する不健康地である。市は1537年に創設され植民地時代はパナマとリマとの中継地として栄えたが,いくども海賊の襲撃により焼失した。…

【進行麻痺】より

…梅毒の第4期,すなわち梅毒感染後10~20年を経過して発病するもので,脳実質が梅毒トレポネマにより侵される結果起こる精神病。ワッセルマン反応の発見(1906)により,本病が梅毒と関係することが明らかにされ,次いで1913年野口英世が本患者の脳内に梅毒トレポネマを発見するに及び,本病の原因が確定した。全梅毒患者の約5%に進行麻痺の発現をみる。…

※「野口英世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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