日本歴史地名大系 「行力村」の解説 行力村ぎようりきむら 群馬県:高崎市行力村[現在地名]高崎市行力町榛名(はるな)山南麓の緩傾斜地にある。東南流する東方の井野(いの)川とほぼ南流する西側の白(しら)川の中間に位置する。北は下柴(しもしば)村(現群馬郡箕郷町)、東は浜川(はまがわ)村、南は北新波(きたあらなみ)村。上杉氏上州所領目録(彦部文書)の長野(ながの)庄のうちに「行力村」とみえる。また、天正四年(一五七六)一一月二〇日、「下行力」三八俵六升が大井小右兵衛尉に与えられている(「武田家定書」岡本文書)。群馬郡に属し、元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では西郷に村名がみえる(高崎藩領)。 行力村ぎようりきむら 兵庫県:三木市行力村[現在地名]三木市口吉川町桃坂(くちよかわちようももざか)蓮華寺(れんげじ)村の北、美嚢(みの)川中流の丘陵地に位置する。北は桃坂村。初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領となるが、寛永九年(一六三二)に上知されたとみられる(「寛政重修諸家譜」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by