行恒村(読み)ゆきつねむら

日本歴史地名大系 「行恒村」の解説

行恒村
ゆきつねむら

[現在地名]大田市久利町行恒くりちようゆきつね

松代まつしろ村の東に位置し、北流する安谷やすたに川が静間しずま川に合流する地点を中心に開ける。江戸時代は邇摩にま郡に属し、静間川北岸は安濃あの稲用いなもち村。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「ゆきつね 十二丁三反百二十歩」とみえ、中世安濃郡に属していた。「伺事記録」の延徳二年(一四九〇)九月一四日に「行恒保」とあり、飯尾春貞は前将軍のときに守護により押領されたことのある同保が、近年は佐波氏の押妨を受けていると訴え、押妨の停止命令が下されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む