日本歴史地名大系 「安濃郡」の解説
安濃郡
あのぐん
〔古代〕
「出雲国風土記」神門郡条に「石見国の安農郡の堺なる多伎々山に通ふは、三十三里なり」とみえ、国境の
〔中世〕
貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文によると、郡内には
安濃郡
あのうぐん
- 三重県:伊勢国
- 安濃郡
と詠まれ、「五鈴遺響」は枕詞「草蔭の」に注目して、「草蔭トハ野ト謂ハン発語ナリ、今稽ルニ阿ハ嘆美ノ辞ニテ、上世ハ曠荒ノ原野ナルヘシ」と郡名の起源を説いている。「皇太神宮儀式帳」は「安濃県造真桑枝乎、汝国名何問賜支、白久、草蔭安濃国止白支、即神御田并神戸進支」と記している。「倭姫命世記」には「草陰阿野国」とある。「延喜式」伊勢太神宮には伊勢神宮の封戸のうち「安濃郡卅五戸」とあり、天禄四年(九七三)九月一一日の太政官符(類聚符宣抄)により一郡が神宮に追加施入され、この封戸数三八九烟とある(神宮雑例集)。これは
条里遺構は安濃川流域のほとんど全域にわたる広範囲に鮮やかに残され、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報