表佐村
おさむら
[現在地名]垂井町表佐
宮代村の東に位置し、北東を流れる相川を渡ると綾戸村。「和名抄」不破郡遠佐郷の遺称地で、条里遺構をうかがわせる六ノ坪・十二などの地名が残る。袁佐・曰佐の字をあてるが、古代の通訳者曰佐氏に関連付けて地名由来とする説もある。小字に辻が鼻免があり、染色の辻が花染に由来するかという。「天文日記」天文六年(一五三七)一一月八日条に「をさ宝光寺新発小豆餅二鉢」とある。天正一一年(一五八三)七月日の稲葉一鉄初尾奉納目録写(稲葉家譜)に給人方分として「弐百疋五ノ里東北院、同表佐籠之内」とみえる。同一七年一月一八日の大仏殿用材運送下知状(国立国会図書館蔵)は豊臣秀吉が方広寺(現京都市東山区)大仏殿造営用材を諸国に徴したときのもので、当時大垣城にあった一柳氏に命じ木曾山材木を尾張犬山から表佐まで一千人、表佐から近江柏原(現滋賀県坂田郡山東町)までは二千人の材木持衆を用いて陸送することになっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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