あぜち【按察使】
〘名〙
①
奈良時代、
養老三年(
七一九)創設された
地方行政監督機関。令外
(りょうげ)の官。
畿内・
西海道を除く
諸国を
隣接する二~四か国でまとめ、そのうちの一国の守をこれに任命した。重要視された官であったが、やがて
陸奥・
出羽両国以外には置かれなくなり、
平安時代になって全く形骸化し、
中納言以上の兼官として
名目だけが残った。あんさつし。あんぜつし。
※宇津保(970‐999頃)国譲下「
宰相には右大弁すゑふさ、右大将、あぜちかけ給」
②
宮中、院に仕える
女官の呼び名。上臈
(じょうろう)の女官のうち、やや
下位の者につける。
※
女房の官しなの事(1382)「
大納言局。中納言局。左衛門督。帥。
按察使。ゑもんのかみ。これらは上らふの付名也。此うちにもあぜちなどはいささか心ありてさがりたるなり」
[語誌]アゼチの読みは、「按察」の呉音読みアンセチが連濁してアンゼチとなり、かつ平安中期以前にはn撥音の
仮名が未発達で零表記されたアゼチが定着したもの。「按察使」と書いてもアゼチと「使」を不読にしていたことは平安朝公家日記、例えば「後二条師通記」では「按察」「按察使」の両形が恣意的に混用されていることによって知られる。
あんさつ‐し【按察使】
〘名〙
※
続日本紀‐養老三年(719)七月庚子「始置
二按察使
一」
② 明治二年(
一八六九)
東北地方の
動揺を鎮め、
民情視察のために置かれた職。のちに
越後にも置かれたが、翌年廃止。
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デジタル大辞泉
「按察使」の意味・読み・例文・類語
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按察使【あぜち】
古代,地方官の行政を監督する官。711年唐では10道に按察使を置いた。719年日本でも主要国の国司11人が按察使を兼任し,隣接の2〜4国を管理させて広域行政をめざした。しかし所期の効果はなく,8世紀末には陸奥(むつ),出羽(でわ)のほかは任ぜず,後には中央高官の兼摂する空名となった。
→関連項目伊治城|伊治呰麻呂|蝦夷地|大野東人|神野真国荘
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按察使
あんさつし
an-cha-shi; an-ch`a-shih
中国の官名。げっ司とも呼ばれる。唐代に初めて各道に地方巡察の官としておかれ,十道按察使といったが,のちこれを観察使と改めて節度使が兼任し,強大な権力をふるった。宋代では各路の転運使がこれを兼官したが,遼代に按察諸道刑獄使として地方の司法監察の専官となり,金代には提刑使のち按察使,元代では提刑按察使のち肅政廉訪使として受継がれた。明代で布政使,都指揮使と並び,各省の行政,軍事,司法のそれぞれを分担する一地方長官であったが,総督,巡撫がおかれるとその下位に立ち,清代に及んだ。
按察使
あぜち
(1) 令外官の一つで地方行政の監督官。養老3 (719) 年,初めて諸国におかれ,1人で2~3ヵ国を担当し,管内国司の行政を監督し,民情を巡察した。具体的には国司の不正摘発や,優良国司の中央への報告など,律令制下の地方政治取締りにあたった。諸国の按察使廃止後も陸奥,出羽按察使だけは明治維新まで続いたが,遙任の風が行われ,中央における名族,高官の者が兼任するようになって有名無実となった。
(2) 明治2 (1869) 年,維新政府の官制改革に際し,地方行政監督官として設置されたが,翌年9月に廃止された。
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あんさつし【按察使 Àn chá shì】
中国,唐から清までの上級地方官名。唐は全国を10道に分けたが,最初は特定の官を置かず,巡察使,存撫使などの名で,地方の水旱,刑獄,勤務状況などを査察させた。711年(景雲2)それが10道按察使として固定し,改廃もあったが,玄宗時代まで継承され,秋冬に受持州県を巡察した。これが日本にも導入され按察使(あぜち)となる。755年(天宝14)の安史の乱以後は各地の節度使が按察の任も兼ね,次の宋代になると,路の長官監司が按察の任務を分担した。
あぜち【按察使】
日本古代の地方行政監察機関。719年(養老3)に設置された。伊勢,遠江,常陸,美濃,武蔵,越前,丹波,出雲,播磨,伊予,備後の各国守が按察使を兼任し,属官として典(のちに記事と改称)を配して,それぞれの国の近隣数ヵ国を管轄下に置き,国内を巡行して監察を行った。その後まもなく陸奥にも置かれ,畿内・西海道を除く全国に設置されたが,のちに一部管轄の変更が行われたこともあった。721年(養老5)には按察使の官位を正五位上相当と定めたが,大国の国守が従五位上相当であることと比べて,かなり高く位置づけられている。
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按察使
あぜち
古代における地方行政監督のための臨時の官。令外官(りょうげのかん)の一つ。719年(養老3)畿内・西海道をのぞく全国に設置されたとみられ,1国の国守が周辺の2~3カ国を管轄。管内国司の治績を調査・監督し,あわせて民政安定のため直接指揮した。中央政府による地方支配強化のための方策であった。畿内におかれた摂官とともに,養老年間に集中して史料に登場するが,以後は陸奥出羽按察使あるいは近江・因幡などの特例をのぞいて衰退。
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按察使
あぜち
①719年に置かれた地方行政監察官
②明治政府の地方行政監督官
国司に兼任させ,近隣数カ国の国郡司を監察させた。陸奥・出羽以外は平安時代に廃止され,納言・参議らの兼任となった。
1869(明治2)年に設置されたが,奥羽方面に置かれただけで,実際活動もほとんどなく,翌年廃止。
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按察使(あんさつし)
唐以後の官職。地方行政の監察を任とし,遼では刑官,金・元では勧農も兼ねた。明では地方三司の一つとして重視され,清もこれを継承した。明以前は名称に変化がある。
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按察使
あんさつし
唐代に各地方行政区画(道)へ派遣された官
地方行政の監察や民情視察を行って上奏する役目をもったが,宋の中期以後はもっぱら刑獄に関することに限定された。按察使は明・清代まで置かれた。
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世界大百科事典内の按察使の言及
【按察使】より
…唐は全国を10道に分けたが,最初は特定の官を置かず,巡察使,存撫使などの名で,地方の水旱,刑獄,勤務状況などを査察させた。711年(景雲2)それが10道按察使として固定し,改廃もあったが,玄宗時代まで継承され,秋冬に受持州県を巡察した。これが日本にも導入され按察使(あぜち)となる。…
【道】より
…のち元以降,道は省と府州・県との中間の区画に変わる。元では宣慰使司・粛政廉訪使司の管区の道,明・清では布政使に属する分守道,按察使に属する分巡道などがある。民国の初めにも省と県の中間に道が置かれたが,まもなく廃止された。…
※「按察使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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