日本歴史地名大系 「袋尻村」の解説 袋尻村ふくろじりむら 兵庫県:揖保郡揖保川町袋尻村[現在地名]揖保川町袋尻浦部(うらべ)村の東に位置し、村の北端を揖保川が南東流する。北西には宝記(ほうき)山が延び、袋状になった河内(こうち)谷の北端、袋の尾(尻)に立地する。室津(むろつ)(現御津町)から山陽道正条(しようじよう)宿へ通ずる往還が通り、参勤交代の際の使者場があった。明応六年(一四九七)五月一二日の石塚能全宛の三島通貞書状(東寺百合文書)によると、年貢銭二〇貫文を「あき人袋尻彦右衛門方」に預けて京上したという。この袋尻は当地のことか。文禄三年(一五九四)六月五日の豊臣秀吉知行方目録(金井文書)に袋尻村とみえ、同村の一八二石余などが小出大和守に与えられている。 袋尻村ふくろじりむら 兵庫県:姫路市旧飾磨市地区袋尻村[現在地名]姫路市飾磨区袋尻(しかまくふくろじり)・飾磨区野田町(しかまくのだちよう)・三条町(さんじようちよう)一―二丁目飾東(しきとう)郡に所属。姫路城下から飾万(しかま)津に向かって掘削された三左衛門(さんざえもん)堀(外堀川)の南端付近に位置し、南は上野田(かみのだ)村。文亀三年(一五〇三)八月吉日の重慶等連署散用状(松原八幡神社文書)によると、「袋尻分」の田一段一〇代から五斗六升余が松原(まつばら)八幡宮に納入されており、袋尻井堰の井料として五升が下行されていた。近世初期は上野田村に含まれており、貞享元年(一六八四)の本多忠国領知目録(本多家文書)に村名がみえることから、同年以前に分村したとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by