日本大百科全書(ニッポニカ) 「裴休」の意味・わかりやすい解説
裴休
はいきゅう
(797―870?)
中国、唐代後期の在家の仏教者。孟州済源(もうしゅうさいげん)(河南省懐慶府済源県)の人。姓は裴氏、字(あざな)は公美。長慶(ちょうけい)年間(821~824)に進士となり、諸職を歴任、最後は吏部尚書太子少師(りぶしょうしょたいししょうし)に任ぜられた。若いころから仏教に心を寄せ、居士(こじ)でありながら華厳(けごん)の圭峰宗密(けいほうしゅうみつ)、禅の黄檗希運(おうばくきうん)らに師事して境地を深めた。文章をよくし、『勧発菩提心文(かんほつぼだいしんもん)』1巻(838)のほか、宗密の著『注華厳法界観門(ちゅうけごんほうかいかんもん)』『禅源諸詮集都序(ぜんげんしょせんしゅうとじょ)』『原人論』などに序を書き、また希運の語録『伝心法要』1巻を編集した。
[末木文美士 2017年4月18日]