西中間村(読み)にしなはまむら

日本歴史地名大系 「西中間村」の解説

西中間村
にしなはまむら

[現在地名]住用村西仲間(にしなかま)

石原(いしわら)村の北に位置し、集落はヤクカチョボシ岳などの山嶺に挟まれた住用川の流域にある。西仲間とも記す。北東方に進むと三太郎(さんたろう)峠を経て東中間(ひぎやなはま)村に通じる。住用(すむゆう)間切のうち。「大島私考」に住用間切一五ヵ村のうちとして「西中間村」とみえ、高二八石余、うち享保内検後の開地は一斗余で、損地があるという。当村は労村のため黍作りや諸作物の手入れもおろそかであったところ、安政二年(一八五五)西中間・石原両村の掟役を勤めていた能盛喜が百姓のことを心がけ、懇切丁寧に教えさとしたので、皆が心服し、黍の植付や手入れが行届き、村人は年を追って砂糖増産に心がけるようになったという(栄家文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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