西之浦村
にしのうらむら
[現在地名]倉敷市連島町西之浦・連島中央五丁目・鶴の浦一―三丁目
西高梁川左岸に位置し、北は片島村と接する。永享七年(一四三五)銘の疫神宮棟札写(佐藤文書)に「備前州児林御庄西条連島西浦疫神宮御宝前」とある。正保郷帳に「連島西浦村」とあり高一六〇石余、幕府領、枝村として大江村・宮浦村を記す。「備中集成志」に寛永(一六二四―四四)頃として「連嶋之内 西浦村」高一六〇石余、幕府領と記す。元禄郷帳では高五八二石余で成羽藩領。以後、幕末まで同藩領。万治元年(一六五八)北西部に切添えの弁財天新田が開発された。宮田(のち佐分利)土成が担当したため土成新田ともよぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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