日本歴史地名大系 「西国分廃寺」の解説
西国分廃寺
にしこくぶんはいじ
紀ノ川右岸、標高三八メートルの段丘上にあった白鳳時代―奈良時代の寺院。昭和五〇―五三年(一九七五―七八)に発掘調査され、塔の規模が明らかになったが、その他の伽藍については不明。塔心礎は長径一八五センチ・短径一二〇センチ、高さ一二〇センチの砂岩製。その上面に直径八七センチ、深さ九センチの正円形の柱座を彫り、さらにその中心部に径一四センチ、深さ一五センチの舎利孔をうがっている。心礎の下には四個の平坦な大石を配して支え石とし、その中間に根石を敷く。基壇の版築は最下段に人頭大の栗石を敷き、数枚の版築土を重ねて再び栗石を敷き、さらに版築土を積むという丁寧なもので、基壇化粧は瓦積みで、塔の規模は一辺一三・八メートル(四六尺)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報