西垪和村(読み)にしはがむら

日本歴史地名大系 「西垪和村」の解説

西垪和村
にしはがむら

[現在地名]旭町西垪和

村域南西を旭川が蛇行して流れ、北は通谷かいだに村。もと西垪和村で、この西垪和村が西垪和村と東垪和村に分村したという(久米郡誌)正保郷帳ではすでに東西に分村しており、田方一三七石余、畑方一五六石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳の改出高六〇石余、開高七石余。「作陽誌」の戸口は七四軒・四一八人。元禄一一年幕府領となり、同一五年上野安中藩内藤氏領となり、以後明治まで内藤氏領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android