西大野郷(読み)にしおおのごう

日本歴史地名大系 「西大野郷」の解説

西大野郷
にしおおのごう

古代の三野みの大野(和名抄)の郷名を継ぎ、同郷の西部が庄園化したものと考えられる。大野を遺称地として一帯に推定される。京都祇園社領。文永九年(一二七二)八月一日の感神院長吏晴付属状(八坂神社文書)に祇園社家方所職所帯として「讃岐国西大野郷」がみえ、弟子感晴に譲与されており、同一二年三月八日の亀山上皇院宣(八坂神社記録)で晴から上総大別当房への譲渡が安堵されている。徳治元年(一三〇六)祇園社宸筆仁王経料所として寄進された(一二月一八日「後宇多上皇院宣」八坂神社文書)。南北朝初頭、給主職は御師静晴であったが、南朝方にくみしたため闕所地となり、文和二年(一三五三)八月一五日、改めて後光厳天皇の祈祷料所として、祇園社執行顕詮に羽床はゆか萱原かやはら神田(現綾歌郡綾南町)とともに安堵された(「後光厳天皇綸旨案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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