日本歴史地名大系 「山本町」の解説
山本町
やまもとちよう
慶長五年指出帳(「石清水八幡宮史」所引)によれば、地子負担の町家は菖蒲池町と合わせて一四軒、
山本町から八幡宮表参道へ至る一三〇間の急坂(現廃道)を
山本町
やまもとちよう
山本町
やまもとちよう
山本町
やまもとまち
山本町
やまもとちよう
南北に通る
平安京の条坊では、左京三条四坊四保一六町の東側の地。平安中期以降は二条東京極大路南西にあたる。明治三年(一八七〇)当町の南にあった「杵屋町」(押小路寺町西入)の北半を合併した。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「鶴屋町」とあり、筆描図系の図では寛文後期洛中洛外之絵図頃まで変化なく、元禄末期洛中絵図以降「山本町」となる。一方木版図系絵図では、寛永一八年以前平安城町並図は「かめや町」、寛永版平安城東西南北町並之図は「つるや町」、以降「京雀」「京雀跡追」頃まで変化はなく、元禄四年(一六九一)京大絵図で「山本町」となる。
山本町
やまもとちよう
山本町
やまもとちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報