西安積村(読み)にしあづみむら

日本歴史地名大系 「西安積村」の解説

西安積村
にしあづみむら

[現在地名]一宮町西安積

揖保(いぼ)川の支流引原(ひきはら)川の最下流右岸に位置し、対岸は東安積村。乗取(のつとり)山の山麓斜面に立地する村。中世は安積保に含まれていた。慶長国絵図に「西あつミ村」とみえる。初め姫路藩領、慶長一八年(一六一三)備前岡山藩領(「寛政重修諸家譜」など)、元和元年(一六一五)山崎藩領(「寛文朱印留」など)、延宝七年(一六七九)幕府領(「本多家譜」東京大学史料編纂所蔵など)、元禄一〇年(一六九七)三日月藩領となり幕末に至る(「寛政重修諸家譜」・旧高旧領取調帳など)。正保郷帳に西安積村とみえ、田方一五五石余・畠方七三石余。下村氏手控帳(下村家文書)によると、寛文―延宝(一六六一―八一)の田八町六反余・畑六町二反余、家数二一・人数一二七、馬八・牛二五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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