西山城跡(読み)にしやまじようあと

日本歴史地名大系 「西山城跡」の解説

西山城跡
にしやまじようあと

[現在地名]哲西町八鳥

要害ようがい(約五〇〇メートル)山上にあり、要害山城ともいう。「備中集成志」は源頼朝の家人市川別当行房の築城と記すが、確かではない。天文(一五三二―五五)初年には久代弾正が城主であった(同書)。久代氏は現広島県比婆ひば東城とうじよう久代くしろにあった比田山ひたやま城主宮氏のこと。宮氏は応永六年(一三九九)宮利吉の代に久代に来住したと伝え、亀寿山かめじゆさん(現広島県芦品郡新市町)城主宮氏の庶子家と推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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