西川 たつ
ニシカワ タツ
- 職業
- 俗曲演奏家
- 別名
- 初名=岸沢 式多津
- 生年月日
- 明治28年 12月15日
- 出生地
- 東京・深川
- 経歴
- 幼少から三味線を習い常磐津節を得意とする。9歳で岸沢式多津を名乗って寄席で演奏、のち花形の娘芸人として人気を得た。一旦高座を退くが、昭和25年高座に復帰。浮世節の家元・立花家橘之助の死後、西川たつの名で浮世節を継承し、唯一の女芸人として名をなす。得意演目は「たぬき」。34年公演中に倒れ死去。
- 受賞
- 芸術祭賞〔昭和33年〕
- 没年月日
- 昭和34年 6月1日 (1959年)
- 家族
- 父=岸沢 文左衛門
- 伝記
- わたしの寄席 安藤 鶴夫 著(発行元 河出書房新社 ’08発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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西川 たつ
ニシカワ タツ
明治〜昭和期の俗曲演奏家
- 生年
- 明治28(1895)年12月15日
- 没年
- 昭和34(1959)年6月1日
- 出生地
- 東京・深川
- 別名
- 初名=岸沢 式多津
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭賞〔昭和33年〕
- 経歴
- 幼少から三味線を習い常磐津節を得意とする。9歳で岸沢式多津を名のって寄席で演奏、のち花形の娘芸人として人気を得た。一旦高座を退くが、昭和25年高座に復帰。浮世節の家元・立花家橘之助の死後、西川たつの名で浮世節を継承し、唯一の女芸人として名をなす。得意演目は「たぬき」。34年公演中に倒れ死去。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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西川たつ にしかわ-たつ
1895-1959 明治-昭和時代の俗曲演奏家。
明治28年12月15日生まれ。幼少から常磐津(ときわず)節を得意とし,岸沢式多津を名のって寄席(よせ)で演奏。浮世節の家元立花家橘之助(きつのすけ)の死後,西川たつの名で浮世節をつぎ人気をえた。得意演目は「たぬき」。昭和33年芸術祭賞。34年5月31日公演中にたおれ,6月1日死去。63歳。東京出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の西川たつの言及
【浮世節】より
…橘之助は《大津絵》《とっちりとん》などの俗曲に,長唄,常磐津,清元節などを巧みに織り込み,陽気でおどけた歌詞と曲調に仕上げ,三味線の曲弾きを入れた《たぬき》といった曲で芸術性を高めた妙技をみせた。しかし橘之助没後,浮世節は中絶したが,第2次世界大戦後,西川たつ(1895‐1959)が復活させ,1958年に芸術祭大衆芸能部門において芸術祭賞を受賞するなど劣らぬ芸をみせた。日本橋きみ栄(1915‐ )らに継承されている。…
※「西川たつ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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