西本敦(読み)ニシモト アツシ

20世紀日本人名事典 「西本敦」の解説

西本 敦
ニシモト アツシ

昭和期の平和活動家,僧侶



生年
大正13(1924)年1月21日

没年
昭和37(1962)年4月29日

出生地
高知県高知市

経歴
高知市の養護施設・鏡川学園に勤務、共産党活動に協力したが、昭和26年出家して日本山妙法寺に入った。28年内灘米軍試射場反対闘争開始と同時に藤井日達に進言して参加、日本山基地闘争の先駆者となった。31年の砂川闘争でも日本山の僧たちが民衆と共に警棒乱打の中、重傷を負いながら読経を続けた。また第4回原水爆禁止世界大会を前に、広島―東京1000キロの核武装阻止国民大行進のイニシアチブをとり、日本山の僧・西本の名をあげた。西本はその後還俗し35年3月日本共産党に入党、群馬県で活動。37年4月28日、沖縄デー集会の帰途、交通事故死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西本敦」の解説

西本敦 にしもと-あつし

1924-1962 昭和時代後期の平和運動家。
大正13年1月21日生まれ。日本山妙法寺(日蓮宗)の僧。昭和28年の内灘(うちなだ)米軍試射場反対運動,31年の砂川闘争に参加。33年第4回原水爆禁止世界大会を前に広島-東京間の平和行進をおこない,同行進の創始者となる。35年還俗(げんぞく)して共産党に入党。昭和37年4月29日死去。38歳。高知県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西本敦」の解説

西本 敦 (にしもと あつし)

生年月日:1924年1月21日
昭和時代の平和活動家;僧侶
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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