日本歴史地名大系 「西本願寺山科別院」の解説 西本願寺山科別院にしほんがんじやましなべついん 京都市:山科区東野村西本願寺山科別院[現在地名]山科区東野狐藪町四(し)ノ宮(みや)川左岸にある。法人名は本願寺山科別院。享保一七年(一七三二)五月(「大谷本願寺通紀」は閏五月とする)、山科講が東野村の四ノ宮川と音羽(おとわ)川に挟まれた藪地一千二五〇坪余を寺地として本願寺一五代住如に寄進し、同年八月北山舞楽(きたやまぶがく)寺御坊(養源寺、現京都市左京区)の本堂の移築を開始して同年一〇月一日に落慶したことにはじまる(「養源庵庵記」「北山御坊」西本願寺蔵)。新寺建立を認めない奉行所に対して、西野(にしの)村・東野村(現山科区)、一条寺(いちじようじ)村(現左京区)の村方役人および本願寺家司藤田大学が、同年五月に「一条寺村元寺地ニ者番人小屋之外建物一切不仕、重而古跡などゝ申立寺庵ケ間敷儀、取立申間敷」(西本願寺文書)という条件に連署しての許可であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by