20世紀日本人名事典 「西村琢磨」の解説 西村 琢磨ニシムラ タクマ 昭和期の陸軍中将 生年明治22(1889)年9月15日 没年昭和26(1951)年6月11日 出生地福岡県 学歴〔年〕陸士卒,陸大卒 経歴大正11年軍務局課員、12年関東大震災の関東戒厳司令部付。昭和7年5.15事件で判士長、11年2.26事件では兵務課長として反乱軍に対した。15年陸軍中将。16年6月近衛師団長、第25軍に編入、マレー作戦に参加、17年6月予備役。18年ビルマのシャン州長からマドラ州長となって敗戦、スラバヤ収容所に入れられ、シンガポールの軍事裁判で「責任は指揮官の自分にある」と主張、終身刑の判決を受けた。さらにマヌス島のオーストラリア側軍事裁判で26年6月11日死刑を執行された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村琢磨」の解説 西村琢磨 にしむら-たくま 1889-1951 昭和時代前期の軍人。明治22年9月15日生まれ。昭和15年陸軍中将。16年近衛(このえ)師団長となり,太平洋戦争開戦とともにマレー作戦に参加。戦後,オーストラリアの軍事裁判で死刑判決をうけ,26年6月11日マヌス島で処刑された。61歳。福岡県出身。陸軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by