日本歴史地名大系 「西梅津村」の解説 西梅津村にしうめづむら 京都市:右京区西梅津村[現在地名]右京区梅津〈大縄場(おおなわば)町・尻溝(しりみぞ)町・中倉(なかくら)町・フケノ川(かわ)町・罧原(ふしはら)町・前田(まえだ)町〉東は東梅津、北は高田(たかた)・下嵯峨(しもさが)、西から南にかけて流れる桂川を挟んで上山田(かみやまだ)・松室(まつむろ)・上桂(かみかつら)(現西京区)の各村に接する。村の北、下嵯峨村より東梅津村界まで愛宕(あたご)道が通る。梅津は平安期より丹波からの材木の集散地として栄え、貴紳の山荘も営まれ、中世には幾多の合戦の場となった(→梅津)。江戸時代初め東梅津村と西梅津村に分れたと思われる。元禄二年(一六八九)刊「京羽二重織留」には東西四七間、南北六町で、戸数二七軒、うち九軒は社家、一軒は寺(本福寺)、惣堂一ヵ所と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by