西河原村(読み)にしがわらむら

日本歴史地名大系 「西河原村」の解説

西河原村
にしがわらむら

[現在地名]茨木市西河原一―三丁目・西河原北にしがわらきた町・西太田にしおおだ町・三咲みさき町・田中たなか町・しよう一丁目・三島みしま町・三島丘みしまおか一丁目

太田村の南、安威あい川流域に位置。「和名抄島下しましも新野にいや郷に含まれたとみられ、文和元年(一三五二)二月一八日の総持寺領散在田畠目録写(常称寺文書)に「番匠田 弐段 新屋村四条四里十二坪内」「三月三日田 壱段 新屋村之内四条三里卅五坪内」とある新屋にいや村は、条里の復原から当村天照御魂あまてるみたま神社付近であることが明らかである。文永四年(一二六七)四月一〇日付比丘尼蓮阿弥陀仏田地寄進状(勝尾寺文書)によると、新屋村の田一反が勝尾かつお(現箕面市)二季彼岸僧饌用途として寄進されている。

西河原村
にしがわらむら

[現在地名]中主町西河原

木部きべ村の北西、野洲川右岸の平地に立地。西川原とも書く。じゆつぼ十壱じゆいち十二じゆにの古代条里の数詞坪地名が残る。明応六年(一四九七)のいろいろ帳(安治共有文書)兵主ひようず一八郷の一として「にしわら村」がみえる。元亀三年(一五七二)三月一九日金森かねがもり(現守山市)の一向一揆に参加しないことを誓約した起請文に「西河原村」の三名が署名(水木文書)

西河原村
にしがわらむら

[現在地名]西区玉津町西河原たまつちようにしがわら

明石川と川の合流点近く、明石川左岸の平坦地に位置し、南は新方しんぼう村。慶長国絵図に「にし河原村」とみえる。正保郷帳によれば田方二六七石余・畑方一二石余。天保郷帳では高二八八石余、旧高旧領取調帳では高二六二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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