二ノ宮神社(読み)にのみやじんじや

日本歴史地名大系 「二ノ宮神社」の解説

二ノ宮神社
にのみやじんじや

[現在地名]中主町西河原

祭神天児屋根あめのこやね命・経津主ふつぬし命。天正一八年(一五九〇)に記された社蔵の二宮大明神社紀によれば、欽明天皇の代に創祀され、養老二年(七一八)社殿造営、大同二年(八〇七)最澄が乙窪おちくぼ仏性ぶつしよう寺を建立するに伴い、二宮神社鎮守神とした。以降乙窪・吉地よしじを含む一帯の産土神となる。文治二年(一一八六)源頼朝が社殿を修造し社領を寄進、その後兵火にあったが、足利尊氏が旧に復したという。社号は、兵主ひようず神社二一社のうち中七社の第二の社にあたることに由来するという説がある。文明七年(一四七五)一一月六日の六角氏奉行人連署奉書(兵主神社文書)に「野洲郡兵主社 二宮両社」とみえ、両社の神領が先例のとおり認められている。


二ノ宮神社
にのみやじんじや

[現在地名]瑞穂町字橋爪 淵上

つづみ山の北麓、高屋たかや川南岸に鎮座。祭神は応神天皇・仲哀天皇武内宿禰・健御雷命・底筒男命。旧村社。

かつて八幡宮と称していたが昭和二〇年(一九四五)改称した。古来曾根そね(現丹波町)何鹿いつしか神社を一宮とする山内やまのうち庄の二宮で、丹波・瑞穂両町に七宮を称する七社が鎮座する。

創建時期は不詳。文政一三年(一八三〇)四月二七日火災の際記録類を焼失した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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