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西洞院時名 にしのとういん ときな

美術人名辞典の解説

西洞院時名

公卿。右衛門督範篤の子。号は風月・云々。従五位上・少納言・備前権介を経て桃園天皇に仕える。竹内式部に師事し尊王思想を学び、同志徳大寺公通等と共に式部の学説を叡聞に達し、『日本書紀』の進講が始まったが、前関白一条道香・関白近衛内前に弾圧され、式部門下の公卿二十余名と共に処罰され停官永蟄居を命ぜられた。のち赦される。寛政10年(1798)歿、69才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西洞院時名 にしのとういん-ときな

1730-1798 江戸時代中期の公家(くげ)。
享保(きょうほう)15年2月1日生まれ。桃園天皇の側近をつとめ,延享元年少納言となる。竹内式部に神道,儒学をまなび朝権の回復をこころざすが,宝暦事件に連座し,免官,永蟄居(えいちっきょ)を命じられた。寛政10年7月2日死去。69歳。

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367日誕生日大事典の解説

西洞院時名 (にしのとういんときな)

生年月日:1730年2月1日
江戸時代中期の堂上公家
1798年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の西洞院時名の言及

【西洞院家】より

…桓武平氏。すなわち桓武天皇の皇子葛原親王の子高棟王から出,平安時代の末ごろは公家平氏として栄えた。南北朝のころ,参議行時が住所にちなんで西洞院をもって家名とした。その後,1566年(永禄9)時当が死去したのち継嗣がなく,いったん断絶したが,75年(天正3)河鰭(かわばた)公虎が入って家名を継いで時通と名のり,のち時慶(ときよし)と改名した。この時慶および息男時直は歌学をもって聞こえた。公家としての家格は半家。…

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