竹内式部(読み)タケノウチシキブ

デジタル大辞泉 「竹内式部」の意味・読み・例文・類語

たけのうち‐しきぶ【竹内式部】

[1712~1768]江戸中期の神道家。越後の人。名は敬持。号、羞斎しゅうさい・周斎・正庵。式部通称垂加神道を学び、京都で公家尊王論を説き、追放宝暦事件)。のち、明和事件に連座し、八丈島に流される途中三宅島病死

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精選版 日本国語大辞典 「竹内式部」の意味・読み・例文・類語

たけのうち‐しきぶ【竹内式部】

  1. 江戸中期の国学者、神道家。越後の人。名は敬持。羞庵・周斎と号す。式部は通称。徳大寺家に仕えて、山崎闇斎垂加流神道をきわめ、公卿たち尊王思想を説いた。尊王論者が処罰を受けた宝暦事件で重追放明和事件で八丈島に流罪。正徳二~明和四年(一七一二‐六七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹内式部」の意味・わかりやすい解説

竹内式部
たけのうちしきぶ
(1712―1767)

江戸中期の儒者、神道(しんとう)家。名は敬持、通称は式部。号は羞斎(しゅうさい)(羞庵は誤伝)、のち正庵(父祖代々の名)または周斎。正徳(しょうとく)2年越後(えちご)国新潟に竹内宗詮の子に生まれる。生家は代々の町医者。1728、1729年(享保13、14)ごろ上洛(じょうらく)し、徳大寺家に仕え、儒学を松岡仲良(まつおかちゅうりょう)(1701―1783)、沢田一斎(さわだいっさい)(1701―1782)に学び、のち玉木葦斎(たまきいさい)(1671―1736)について垂加(すいか)神道を学び、さらに若林強斎(わかばやしきょうさい)の最晩年の弟子となった。京都に開いた塾の門下には旧主徳大寺公城(とくだいじきみき)(1729―1782)、久我敏通(こがとしみち)(1735―1756)をはじめ700~800人の堂上(とうしょう)・地下(じげ)がおり、式部の説く儒書、神書の講義は現状に不満な少壮公卿(くぎょう)に大きな影響を及ぼした。とくに式部の『日本書紀神代巻の講義の主張が近習(きんじゅ)の公卿を通じて若い桃園(ももぞの)天皇に進講されると、これを案じた前関白一条道香(いちじょうみちか)(1722―1769)は1758年(宝暦8)公家(くげ)らを処罰(宝暦(ほうれき)事件)する一方で、所司代松平輝高(1725―1781)に事態を伝えて、翌1759年5月、式部を追放に処せしめた。ついで1767年(明和4)明和(めいわ)事件が起こると、竹内式部はこれに関係なしとされながらも遠島に処せられ、八丈(はちじょう)島へ流される途次、同年12月5日三宅(みやけ)島で病死した。

[山田忠雄 2016年6月20日]

『星野恒著『竹内式部君事蹟考』(1899・冨山房/『越佐叢書6』所収・1934・同叢書刊行会/1974・野島出版)』『徳富猪一郎著『近世日本国民史22 宝暦明和篇』(1926・民友社)』『藤田福太郎著『竹内式部先生』(1936・新潟市教育会)』

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朝日日本歴史人物事典 「竹内式部」の解説

竹内式部

没年:明和4.12.5(1768.1.24)
生年:正徳2(1712)
江戸中期の尊王思想家,垂加神道家。越後国(新潟県)新潟生まれ。医者竹内宗詮の子。名は敬持。通称は一学,式部。号は羞斎,正庵,周庵,周斎。京都,伊勢国(三重県)度会郡において活動する。享保13(1728)年,上京して徳大寺家に仕える。その間,山崎闇斎を学祖とする崎門学派で垂加神道を学び,また軍学も修めた。家塾を開いて公卿徳大寺公城,正親町三条公積,烏丸光胤らにその学を授けた。ところが,神祇権大副吉田兼雄が,垂加神道の浸透を不快に思い,宝暦4(1754)年,時の関白一条兼香に訴えたので,兼香は京都所司代にこれを告げた。ただちに式部は取り調べられた。これより先に桃園天皇は『日本書紀』神代巻を徳大寺らに進講させていたが,その内容は式部より学んだものであった。このため式部は再度所司代の調べを受け,同9年京都追放となった(宝暦事件)。その後,伊勢に身を寄せていたが,明和3(1766)年に尊王論者の山県大弐らの逮捕(明和事件)により,無関係の式部も捕らえられ,八丈島流刑となり,その護送中三宅島で病死した。<著作>『奉公心得書』(日本学叢書7巻)<参考文献>星野恒『竹内式部君事迹考』,大久保次夫『竹内式部』

(白山芳太郎)

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改訂新版 世界大百科事典 「竹内式部」の意味・わかりやすい解説

竹内式部 (たけのうちしきぶ)
生没年:1712-67(正徳2-明和4)

江戸中期の国学者,神道家。越後の人。名は敬持,号は正庵。式部は通称。垂加神道を学んで公卿に神書・儒書を講じていたが,式部に教えを受けた公卿が神書(日本書紀)を,桃園天皇に進講したので,関白近衛内前らは式部の追放をはかり,所司代に告訴し,1759年(宝暦9)式部は重追放となった(宝暦事件)。公卿間の対立が原因であろう。式部は67年(明和4)の明和事件のとき,関係はないとされながら,禁を犯して京都に立ち入ったとの理由で遠島となった。八丈島へ流される途中に病死。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「竹内式部」の意味・わかりやすい解説

竹内式部【たけのうちしきぶ】

江戸中期の国学者,神道家,尊王論者。越後の生れ。上洛して山崎闇斎垂加神道を学び,公卿(くぎよう)たちに日本書紀,儒書を講じていた。しかし宝暦事件の際にこのことを問題とされ,所司代から重追放に処せられる。さらに明和事件に巻き込まれ,八丈島に遠島となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹内式部」の意味・わかりやすい解説

竹内式部
たけのうちしきぶ

[生]正徳2(1712).越後
[没]明和4(1767).12.5. 三宅島
江戸時代中期の国学者,神道家。名は敬持。号は羞庵,周斎など。京都に出て徳大寺家に仕えて垂加神道を学んだ。のち家塾を開き,正親町三条公積,烏丸光胤,久我 (こが) 敏通,徳大寺公城らに神典,儒書を講じた。宝暦事件で京都所司代の審理を受け,宝暦9 (1759) 年重追放に処され伊勢に閑居。のち山県大弐の明和事件に連座して八丈島流罪となり,護送の途中病死。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「竹内式部」の解説

竹内式部
たけのうちしきぶ

1712~67.12.5

江戸中期の神道家・尊王家。名は敬持(たかもち),号は羞斎(しゅうさい),式部は通称。越後国生れ。医師竹内宗詮の子。1728年(享保13)頃上京,徳大寺家に仕え,崎門(きもん)学派の松岡仲良(ちゅうりょう)・玉木正英(まさひで)に師事し,儒学・神学を修める。若い公家衆に大義名分を重んずる垂加(すいか)神道の思想を教授したことから宝暦事件の中心人物として京都を追放され,のち山県大弐(やまがただいに)らの明和事件に連坐して八丈島に流罪の途中,病没。著書「奉公心得書」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内式部」の解説

竹内式部 たけのうち-しきぶ

1712-1768* 江戸時代中期の神道家。
正徳(しょうとく)2年生まれ。京都で儒学,垂加(すいか)神道をまなび塾をひらく。尊王論を主張し,門下の公卿(くぎょう)が桃園天皇に「日本書紀」神代巻を進講したことから,宝暦9年重追放となった(宝暦事件)。また明和事件に連座して八丈島に流される途中,明和4年12月5日三宅(みやけ)島で病没した。56歳。越後(えちご)(新潟県)出身。名は敬持。号は羞斎(しゅうさい),周斎,正庵。著作に「奉公心得書」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「竹内式部」の解説

竹内式部
たけのうちしきぶ

1712〜67
江戸中期の国学者・尊王論者
越後(新潟県)の人。垂加神道を学び,また軍学を研究。京都で家塾を開き,公家に大義名分を講義したが,1759年幕府から兵法を教えたことを理由に京都から追放された(宝暦事件)。'67年山県大弐の明和事件に連坐,捕らえられて八丈島に流される途中,三宅島で病死した。

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世界大百科事典(旧版)内の竹内式部の言及

【宝暦事件】より

…〈ほうりゃくじけん〉とも読む。江戸中期に竹内式部らが処罰された事件。式部は京都に出て垂加神道と崎門派の儒学を学び,公卿に神書(《日本書紀》),儒書を講じていたが,彼らは式部の学を奉じ,中には軍学を学ぶ者があるといわれた。…

【明和事件】より

…ところが玄蕃の失脚を図る者が,大弐や友人藤井右門が甲府や江戸攻略の話をすると聞いて,それを藩主の父に告げ,玄蕃は監禁された。そこで危険が身に及ぶことを案じた大弐の門人らは,大弐が謀反を企てていると幕府に密告し,幕府が大弐らと竹内式部を捕らえて糾問した。その結果,謀反の事実はないとわかったが,1767年(明和4)に,大弐は兵学の講義で甲府その他要害の地をたとえに用いたり,天皇は行幸もできず囚人同然であるなどと語ったことが,不敬,不届きであるとして死罪,右門も獄門となった。…

※「竹内式部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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