西海浦
さいかいうら
現珠洲市馬緤町・大谷町・長橋町・片岩町・清水町・仁江町・真浦町一帯に比定される。若山庄の内。応永二六年(一四一九)四月八日の日野資教御教書(本光寺文書)に「若山庄西海浦内恒俊名」とみえ、永享八年(一四三六)四月七日の本庄宗有免状案(常利弁志家文書)には「若山庄内西海馬緤浦恒利名」とある。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)は馬繋浦(馬緤浦)東隣の正院郷に属する高井(高屋)からの諸浦を内浦とすることから、馬繋浦以西が西海浦として掌握されたと考えられる。天正一三年(一五八五)閏三月一三日に前田利家は西海・三崎の百姓に対し、宇出津(現能都町)に蔵を作り年貢米を納入するよう命じている(「前田利家印判状」三輪文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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