西深瀬村(読み)にしふかせむら

日本歴史地名大系 「西深瀬村」の解説

西深瀬村
にしふかせむら

[現在地名]高富町西深瀬

鳥羽とば川右岸に位置し、岸見きしみ山に連なる丘陵が東に突き出るところに多く集落がある。鳥羽川に沿った耕地の多くは深沼の水田で、降水時には現在でも泥海のようになる。鳥羽川対岸は東深瀬村、南は高木たかき村。慶長郷帳および元和二年(一六一六)の村高領知改帳によれば、領主は近藤政成七七石余、徳永昌純(高須藩)七〇一石余、旗本宮城豊盛六一一石余、慈明じみよう院一〇石。このうち徳永氏の領知は元和二年には幕府領となり、近藤氏も同四年まで、宮城領もその後幕府領となり、慈明院領は変化なく幕末まで続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android