20世紀日本人名事典 「西田博太郎」の解説 西田 博太郎ニシダ ヒロタロウ 明治〜昭和期の染色学者 生年明治10(1877)年8月 没年昭和28(1953)年1月26日 出生地東京・下谷 学歴〔年〕東京帝大工科大学〔明治34年〕卒 学位〔年〕工学博士〔大正3年〕 経歴明治36年ヨーロッパ留学、染色化学を研究し38年帰国、名古屋高等工業学校教授となった。大正4年文部省からロシアに派遣され、5年帰国、桐生高等染色学校(現・群馬大工学部)教授、染色科長を経て、7年校長となり、20年退職。終生門下生と起居を共にし、“西田塾”といわれた。化繊育ての親として繊維工業界に貢献。著書「近世染色学」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西田博太郎」の解説 西田博太郎 にしだ-ひろたろう 1877-1953 明治-昭和時代の染色学者。明治10年8月生まれ。ヨーロッパ留学後,名古屋高工教授などをへて大正5年桐生高等染色学校(現群馬大工学部)教授,7年校長。繊維工業,とくに化繊工業の発展につくした。昭和28年1月26日死去。75歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「近世染色学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by