日本歴史地名大系 「西米光村」の解説 西米光村にしよねみつむら 石川県:石川郡美川町西米光村[現在地名]美川町西米光町手取川扇状地西端部に位置し、南西は手取村。集落の南側を大慶寺(だいぎようじ)用水の分流前(まえ)川が西流する。中世には米光村として一村を形成しており、延徳二年(一四九〇)一二月二八日の御土御門天皇綸旨案(宣秀卿記)に「米光村西方」とみえる。のち当村と東米光村(現松任市)に分離し、俗に西方(にしがた)とよばれた(皇国地誌)。正保郷帳に村名がみえ高三二一石余、田方二〇町八反余・畑方六反、新田高四一石余(免二ツ六厘)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高四〇七石、免四ツ三歩、小物成は川役二一〇匁(出来)・鳥役一八匁(鷹場につき免除)であった(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by