西薦野村(読み)にしこものむら

日本歴史地名大系 「西薦野村」の解説

西薦野村
にしこものむら

[現在地名]菰野町菰野・大羽根園おおばねえん青葉あおば町・呉竹くれたけ町・柴垣しばがき町・並木通なみきどおり・まつ町〉

御在所ございしよ(一二〇九・八メートル)の東麓に位置し、西には蛇不老じやふろ(六二〇メートル)があり、南は見性寺けんしようじ(一〇〇・九メートル)に続く丘陵。村の南を金渓かんだに川が東流する。東は中薦野村。江戸時代を通じ菰野藩領。天保一五年(一八四四)の戸数一二八、人数八一六(男三八九・女四二七)、男子のうち召抱者二〇、僧侶五、他二九、職人一三(「江州石原宿より助郷差村ニ付諸事記」菰野財産区区有文書)。また菰野雑記(野呂家蔵)によれば本高のほか新田高九九石余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む