日本歴史地名大系 「西裏村」の解説 西裏村にしうらむら 熊本県:人吉市西裏村[現在地名]人吉市矢黒(やぐろ)町・上戸越(かみとごえ)町・下戸越(しもとごえ)町・上永野(かみながの)町・下永野(しもながの)町・鹿目(かなめ)町・西大塚(にしおおつか)町・田野(たの)町球磨川南岸の永野(ながの)川・草津(そうつ)川・鹿目川などが形成する谷に主たる集落が位置する。北の球磨川対岸は薩摩瀬(さつまぜ)村・林(はやし)村・中神(なかがみ)村、東は間(あいだ)村、南は鹿児島藩領大口(おおくち)(現鹿児島県大口市)、西は大牟田谷(おおむただに)村(現球磨郡球磨村)に接する。寛元二年(一二四四)五月一五日の人吉庄起請田以下中分注進状(相良家文書)にみえる地名のうち、次のものが村域内に比定される。「狩倉分」の「中尾」は下永野町中尾(なかお)、「鉢森」は同八峯(はちみね)、「隈狩倉」は同熊狩倉(くまかりくら)、「尾治大平」は鹿目町伯父平(おじびら)、「佐羅木」は西大塚町下佐良木谷(しもさらきだに)、「斗度呂木」は同轟(とどろき)、「板平」は同戸板平(といたひら)、「下二田尾」は同下仁田尾(しもにたお)に、「立目分」の「高栗栖」は下戸越町高栗栖(たかくりす)に、「夏狩倉分」の「田野」は田野町にそれぞれ比定され、狩場として人吉庄に属した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by