中神村(読み)なかがみむら

日本歴史地名大系 「中神村」の解説

中神村
なかがみむら

[現在地名]入間市中神

根岸小谷田ねぎしこやた村の西、加治かじ丘陵南麓にあり、西ははな村。中央をかつら(現霞川)が東へ流れる。耕地は花ノ木村から東流して根岸小谷田村で同川に合流する用水堀を利用。丘陵南麓を根通ねどおり道が東西に通り、南部台地上の字原谷はらやの辻では東西に通る青梅道、下谷しもやぬき村から南東に通る江戸道などが交差する。入間郡金子かねこ領に属した(風土記稿)。寛永二年(一六二五)九月旗本鎌田源五郎(正用)は中神村のうち二石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。同五年一月旗本神保三郎兵衛(長之)が二〇〇石の知行地を宛行われた(寛政重修諸家譜)。この地が当村にあたり、以後幕末まで旗本神保領。同六年の検地帳(枝窪家文書)によれば惣反別二四町一反余(田四町五反余・畑一八町八反余・屋敷七反余)、名請人は拾左衛門(一町九反余・四石余持、取永七二八文)ほか二〇名、屋敷持一八名。


中神村
なかがみむら

[現在地名]人吉市中神町

人吉城下から陸路西北西へ約一里、村の中を球磨川が貫流する。東南は台地状をなし、西北はやや低地となる。北北東から南西方向に万江まえ川が流れ、はやし村との境をなすとともに、球磨川と小字清田せいたで合流する。建久二年(一一九一)五月三日の良峯師高所領譲状案(平河文書)によれば開発領主平河氏の支配する永吉ながよし庄に属し、「中神之村之内田地十九町」とあり、土貢五六石二斗、三〇貫が上納されていた。また、村内大柿おおがきは「をうかき田地八町二反□□五石十貫」とあり、「中神之村」とは別に記載されている。これは当村を球磨川の北岸と南岸に分けて記したものと考えられ、北岸を「中神之村」、南岸を「をうかき」としたのであろう。鎌倉末期の元亨二年(一三二二)には、当村の地頭職をめぐって、二階堂行連と開発領主の子孫平河道照の間で争論がなされている(「平河道照申状」同文書)


中神村
なかがみむら

[現在地名]昭島市中神町一―三丁目・中神町・玉川町たまがわちよう二丁目・朝日町あさひちよう一―五丁目・福島町ふくじまちよう二丁目・武蔵野むさしの二―三丁目・宮沢町みやざわちよう二―三丁目

宮沢村の東にある。村名は村の中央にある熊野権現を中の宮と称することに由来する。田園簿に中神村とあり、田一七七石余・畑一五一石余。幕府領で代官設楽権兵衛と天羽七右衛門が分割して支配し、ほかに設楽権兵衛代官所納の野銭永四〇〇文があった。寛文七年(一六六七)検地では田七町歩・畑一六町余、名請百姓四八(「検地帳」原茂家文書)。宝暦九年(一七五九)には旗本曾雌氏二八二石余・同坪内氏一四〇石の旗本二給地(「組合九ヵ村惣高覚」小町家文書)


中神村
なかがみむら

[現在地名]砺波市中神・本町ほんまち新富町しんとみちよう若草町わかくさまち永福町えいふくちよう広上町ひろかみちよう

杉木新すぎのきしん町の西にある。村名は若林わかばやし郷の三宮のうち中宮があったことにちなむと伝える(貞享元年「村名由緒書上」加越能文庫)。元和五年(一六一九)の家高新帳に中神村とみえ、若林の内で役家数七。正保郷帳では高三六〇石余、田方二四町余で畑はない。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五二一石・免三ツ八歩、小物成は野役三二匁・鮎川役四匁・鱒役一匁(三箇国高物成帳)


中神村
なかがみむら

[現在地名]東村上須田かみすだ

新利根川左岸の低地にあり、北は阿波崎あばさき村、北東は上須田村。江戸時代は常陸国河内郡内にあり、元禄郷帳の村高は三七石余。「新編常陸国誌」に「下須田ノ南、下総ノ堺ニアリ(中略)後下須田村ニ併セラレテ、其小名トナル」とある。元禄郷帳・天保郷帳ともに独立村として記されるが、嘉永五年(一八五二)の上須田村の宗門人別改帳(高城藤左衛門氏蔵)には、某家女房に「当村下組仲神より貰請候」と付記され、その頃までに上須田村のなかに入っている。明治一四年(一八八一)調べの参謀本部地図には「上須田村字中神」とあって、下総国香取郡の領域に入っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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