日本歴史地名大系 「西親野井村」の解説
西親野井村
にしおやのいむら
現庄和町域の北端、江戸川右岸にあり、対岸の親野井村(現千葉県関宿町)とは寛永一八年(一六四一)の江戸川開削により分離されたという。永正十五年道者日記(神宮文庫蔵)に「あらい藤三殿 此在所ハおやのと申候、五百文 おひ一たけ」とあり、伊勢御師久保倉藤三は永正一五年(一五一八)に東国を廻国した時、おやの(親野井)の檀那を回って供物五〇〇文の銭を受取り、土産の帯を配っている。永禄六年―天正二年(一五六三―七四)にかけての
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報