西赤尾町村(読み)にしあかおまちむら

日本歴史地名大系 「西赤尾町村」の解説

西赤尾町村
にしあかおまちむら

[現在地名]上平村西赤尾

こうず村の北、庄川左岸の低い河岸段丘に位置し、下流下島したじま村、対岸真木まき村・上野うわの村、背後は山地。飛州へ通じる西赤尾道の登り口にあたり、ブナオ峠を越えて加賀金沢へ通じる。ブナオ峠から流下してきた赤尾谷あかおだに(草谷)が当地区内で庄川に合流するが、ブナオ峠へはこの谷沿いの道をたどる。

蓮如の門弟として知られる赤尾道宗は赤尾の出身で、その影響下に永正一〇年(一五一三)当地に行徳ぎようとく寺が開かれた(貞享二年寺社由緒書上)。同寺に伝わる永正一〇年一一月二七日の年紀をもつ阿弥陀如来絵像裏書に「西赤尾村」がみえる。赤尾谷の中心集落として繁栄し、江戸初期から西赤尾町村と呼称されていた(村名之由来並唱様等書記申帳「十村宅左衛門覚書」寿川区有文書)。寛永七年(一六三〇)の村名は西赤尾村、高一四六石余、免四ツ七歩余、定納金子二三両余(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む