上平村(読み)かみたいらむら

日本歴史地名大系 「上平村」の解説

上平村
かみたいらむら

面積:九四・七七平方キロ

東礪波郡の南西部に位置し、北から東は城端じようはな町・たいら村、南は岐阜県大野おおの白川しらかわ村、西は石川県石川郡吉野谷よしのだに村・金沢市、北西は西礪波郡福光ふくみつ町。福光町との境にはさるヶ山(一四四七・八メートル)大獅子おおしし(一一二七・一メートル)、石川県境には赤摩木古あかまつこ(一五〇三メートル)奈良なら(一六四四・三メートル)大笠おおがさ(一八二一・八メートル)おいずるヶ岳(一八四一・四メートル)などがそびえる。村域の九七パーセントを山林が占め、うち二九パーセントは白山国立公園、二四パーセントが五箇山ごかやま県立自然公園の自然環境保全地域に入り、農地面積は一平方キロ未満にすぎない。笈ヶ岳・大笠山などの連峰を分水嶺とし、大畠おおはたけ谷・開津かいづ谷・赤摩木古谷の水を集めて岐阜県境を東流、庄川に合流するさかい川はかつら地区を流れることから桂川ともいう。「三州旧蹟志」に「越中飛騨国境しんのまたと申所にて御国桂村飛騨国桂村持山両国の水落合、御国境を通り西赤尾町村飛州小白川村両村の領境にて庄川江落合候、此川越中飛騨両国の御境にて川半分半分を御境に相守来り候」とある。考古遺跡は最古の縄文時代前期の土器が採集されている皆葎かいむくら遺跡、後期のまとまった史料が発見されているこうず遺跡など縄文時代の遺跡が点在し、西赤尾にしあかお地区からは御物石器が採集されている。


上平村
うわたいらむら

[現在地名]塩谷町上平

大宮おおみや村の南、鬼怒川左岸に位置し、北部をまつ川が東流する。近世には水戸より日光に至る街道の継場、また宇都宮藩の鬼怒川下しの竹木改場(関所)が設けられ、安政四年(一八五七)には河岸が公認された。鬼怒川の渡しには仮橋が架かっていた。宝治合戦で三浦氏にくみし敗走した三木泰近が、宇都宮景継より当地を与えられ現星宮ほしのみや神社付近に居館を構え、上平氏を名乗ったという。「宇都宮興廃記」に康暦二年(一三八〇)裳原もばら(現宇都宮市)の合戦に従った者のなかに上平修理亮、天正一三年(一五八五)薄葉うすばヶ原(現大田原市)の合戦で塩谷氏に従ったなかに上平平四郎がみえる。今宮祭祀録(西導寺蔵)によると、今宮いまみや神社(現氏家町)に社家役として上平村は廻楼東分一間と屋形様の供役を勤仕、天文一六年(一五四七)より文禄元年(一五九二)にかけて上平村の籠谷氏や上平氏が祭礼頭役を勤めている。


上平村
うわだいらむら

[現在地名]坂城町大字村上むらかみ 上平

千曲川左岸、支流の出浦沢いでうらさわ福沢ふくざわ川の間の村。両支流に沿って出浦・しま小野沢おのざわの集落が散在し、背後は稜線を境にして麻績おみ(現東筑摩郡麻績村)と隣接する。

慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳に「五百拾七石弐斗四升三合 上平村」とある。

寛治八年(一〇九四)八月一七日源盛清は白河上皇を呪咀した罪過により信濃国に配流された(中右記)


上平村
うえだいらむら

[現在地名]瑞浪市釜戸町かまどちよう 上平

大島おおしま村の南、東から流れ下る佐々良木ささらぎ川が土岐川に合流する地点の左岸台地にある。釜戸一一ヵ村の一。正保二年(一六四五)の国絵図作成時の高一〇五石余(「安藤氏覚書」安藤文書)元禄郷帳では旗本馬場領。枝郷に佐々良木川上流の論栃ろんどち、南部の紅葉もみじがある。元禄六年(一六九三)中切なかぎり村との間で入会山の権利をめぐる争いがあった(「山論口上書」水野文書)


上平村
うわだいらむら

[現在地名]いわき市小川町上平おがわまちうわだいら

南東流する夏井なつい川左岸にあり、南は関場せきば村、北は柴原しばはら村、南西対岸は高萩たかはぎ村。磐城郡に属した。磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領正保郷帳では関場村とともに小川中之村に含まれたと思われる。元禄郷帳では上平村は高四三五石余、同村枝郷田中島たなかじま村は高一三四石余、桐ヶ岡新田は高三五石余、天保郷帳では「古者 上平村・田中島村・桐ケ岡新田三ケ村」と注記され、高六二二石余。桐ヶ岡新田は延宝七年(一六七九)から新田とされ、磐城平藩家老大島半兵衛の知行分であったが、元文三年(一七三八)から上平村の高に入れられた(「伊呂波寄頭書」内藤家文書)


上平村
うえだいらむら

[現在地名]高森町上平

現高森町の北部にある段丘上に位置する。

村名の初見は天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳(佐々木忠綱氏蔵)である。村高は正保四年(一六四七)・元禄一五年(一七〇二)・天保五年(一八三四)ともに二〇五石余(信濃国絵図高辻・信濃国郷帳)で変わらなかった。

当村は北部を流れる大沢おおさわ川から取り入れた上平井によって灌漑しているため、同じ井系に属する郷頭ごうず井・駒場こまば井との間にしばしば水論が起きた。


上平村
うわだいらむら

[現在地名]金沢市上平町

材木ざいもく川右岸に位置。同川を挟んで南西は南千石みなみせんごく村。正保郷帳によれば高二六石余、田方六反余・畑方一町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高三〇石、免四ツ五歩、小物成は山役五八匁(三箇国高物成帳)。寛文年間の百姓数二(高免付給人帳)。安政二年(一八五五)の高は寛文一〇年時と同じで、家数一二・人数五八、引免三歩(「高免家数人数等書上」亀田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上平村の言及

【上尾[市]】より

…埼玉県南部の市。1955年上尾,原市,平方の3町と大谷,大石,上平の3村が合体,58年市制。人口20万6090(1995)。大宮台地の中央部にあり,西境を荒川,東境を綾瀬川が流れる。中心街の上尾は中山道の宿場町,東部の原市は市場町,西部の平方は荒川の河岸集落から発展した。周辺の農村部は大麦とサツマイモの産地として知られたが,現在は野菜や果樹づくりと畜産を中心とした近郊農業に変わってきている。高崎線と国道17号線が通じ,東京の都心へ40kmと交通の便が良く,平たん地も多いため,1960年代以後,平塚,坊山,領家の工業団地ができ,自動車,非鉄金属,食料品などの工場が誘致され,県内有数の工業都市となった。…

※「上平村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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